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【第1章|はじまりと違和感】家なのに、家じゃないと思った瞬間

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ここは私の“居場所”ではなかった

結婚してから数年、子どもが生まれても、「家」にいるのにどこか落ち着かず、緊張している自分がいました。

リビングでテレビを見ていても、好きな番組を見ていると隣から「ここが変じゃない?」と批判される。

そのうち、自分が好きなものを否定されることが怖くてテレビで好きな番組があれば、チャンネルを変えるように。

やりたいことがあっても、まず頭をよぎるのは「これをやったら何か言われるかな」「文句を言われるかな」。

何か新しいことを始めると、まずデメリットを指摘され、挑戦する意欲もどんどん削がれていきました。

ふとした瞬間、私は思ったのです。

「ここ、家なのに、家じゃない」と。

「決定権」がない家は、心の自由を奪う

家族の一員であるはずなのに、私には「決定権」がほとんどありませんでした。

見たい番組、行きたい場所、やりたいこと——全部、夫の反応次第。

決して暴力があるわけでも、怒鳴られるわけでもないけれど、心が自由じゃなかった。

「おかしいな」と思っても、言葉にするのが怖かった。

相手の機嫌を損ねないように、できるだけ穏便に。

でもそれは、私が“存在を消す”ことでしか得られない平穏でした。

私だけが、ここを“家”にしようとしていた

思い返せば、私はずっとこの場所を「家」にしようとしていました。

家族が楽しく過ごせるように、子どもたちの笑顔を守れるように。

でも、夫にとってここは「自分の居場所」ではあっても、「私たちの家」ではなかったのかもしれません。

私が何かを変えようとしても、そこに一緒に取り組む気配はなく、

ただ「邪魔しないでほしい」「文句を言うな」と言われる空気の中で、私はどんどん心をすり減らしていきました。

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