最近、夫が朝ゆっくり家にいることが増えた。
以前は、朝イチで出ていってくれた。
ほんの短い時間でも、家の中に“静けさ”があった。
その静けさの中で洗濯をしたり、
コーヒーを入れたりしていると、
「やっと自分の呼吸が戻ってきた」
そう感じる瞬間があった。
今思えば、あれは
私の心の安全地帯だったんだと思う。
でも最近、
夫が家でのんびりしている姿を見ると、
理由のわからないモヤモヤが湧いてくる。
子どもと楽しそうに話していても、
「いい父親になってるじゃない」
そう素直に思えない自分がいる。
そんな自分に気づいて、
少し戸惑ってしまうこともある。
たぶん私は、
夫が“何をしているか”に反応しているわけじゃない。
夫が近くにいる空気そのものに、
体が疲れているのだと思う。
どんなに穏やかな朝でも、
どんなに問題が起きていなくても。
長年の緊張の記憶が、
体の奥に染みついていて、
それがふとした瞬間に
警報のように鳴り出す。
「今は大丈夫なはずなのに」
そう頭でわかっていても、
体が先に反応してしまう。
私はただ、
静かな朝がほしい。
誰の顔色も気にせず、
誰の反応も想像せず、
自分のリズムで動ける時間がほしい。
それだけで、
「今日をやっていける」
そう思える。
そのささやかな願いが、
今は
言葉にできない落ち着かなさ
として表に出てきているのかもしれない。
これは、
誰かを責めたい気持ちではない。
良い・悪いを決めたい話でもない。
ただ、
体がまだ緊張を覚えている
という事実に気づいた記録だ。
心や体は、
頭よりもずっと正直で、
切り替えには時間がかかる。
だから私は、
この感覚を「ダメな反応」として押し込めるのではなく、
「今の私に必要な静けさ」を知らせてくれる
サインとして受け取ってみようと思う。
静かな朝がほしい。
それは、わがままじゃない。
私が今日を生きるために、
必要なものなんだと思う。

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