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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】説教が止まらなかった日々のこと

―― 私は、ただ話を聞いてほしかっただけだった。

目次

「間違ってる」から始まる会話

「間違ってる、それはこういうことなんだよ」

「理解できていない」

「俺の立場になって考えてみたことある?」

何か話そうとすると、すぐに“正しさ”で返される。

でもその”正しさ”は夫にとってのもので、私の気持ちとは違っていた。

私はただ、自分の気持ちを伝えたかっただけなのに、

返ってくるのは、上から目線の説明と、長々と続く説教。

感情さえも「訂正」される日々

「つらかった」と言えば、「どうしてそう思うの?」

「それはおかしいんじゃない?」と、

私の感情そのものを、ひとつひとつ否定されていく。

まるで、感情の発言に「正解」を求められているみたいだった。

でも、感情に正しさなんてないはずなのに。

私は、ただ「わかってほしい」と思っていただけなのに。

会話ではなく「指導」だった

夫とのやりとりは“話し合い”ではなく、“指導”だった。

私の言葉は、聞き入れてもらうものではなく、

訂正され、諭され、矯正される対象だった。

それでも、私は一生懸命に言葉を探していた。

傷ついたこと、わかってほしかったこと。

「ねえ、話を聞いて」って伝えたくて、

勇気を出して口を開いていた。

正論は、人を黙らせる

だけど、返ってくるのはいつも“正論”だった。

正論は、時に人を黙らせる。

本当の思いを伝える勇気を、奪ってしまう。

私は生徒じゃない

私は夫の生徒じゃない。

教えを受ける存在じゃない。

それでも、毎日のように続く説教の中で、

私はどんどん“対等”ではいられなくなっていった。

話すことが、怖くなっていった

「説教の時間が始まるかもしれない」

そう思うと、話すこと自体が怖くなっていった。

私の言葉は、いつも最後には否定される。

そんな予感に、心がすり減っていった。

わかってほしかっただけなのに

ほんとうは、ただ、

「それはつらかったね」

「そう感じたんだね」

そんなふうに寄り添ってくれるだけでよかったのに。

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