― 「話す」ことに、自信が持てなくなった私へ
目次
抑え込まれた言葉たち
夫との暮らしの中で、私は少しずつ「話すこと」に自信を失っていきました。
日々の会話の中で、何を言っても論理で返される。
感情を伝えようとしても、「それは違う」「論点がずれてる」と押し返される。
話せば話すほど、自分の考えや感情が“おかしいもの”に思えて、私はどんどん口を閉ざすようになりました。
私の話は面白くない?
ほとんど子どもとしか会話しない日々。
たまに大人と話す機会があっても、「私の話はきっと面白くない」「長く話したら嫌がられるかも」と不安でたまらなかった。
一生懸命に話を聞いてくれる人が現れたときでさえ、「どうしてこの人は、私なんかの話を聞いてくれるんだろう」と不思議で、居心地が悪かった。
言葉が出てこない。怖い。
言葉を紡ごうとすると、頭の中で誰かの声が響く。
「その言い方は間違ってる」
「ちゃんと論理的に話して」
「そんな感情論は通用しない」
その“誰かの声”が怖くて、話したいことがうまく言葉にできない。
会話の中で黙ってしまう自分に、自己嫌悪を感じる。
でも、それ以上に「否定されること」が怖かった。
抑圧された世界で失った時間
私は、何年もの間、自分の感情に蓋をして暮らしてきました。
夫と過ごす中で、私は自分自身の気持ちの出口を閉ざし、感情を殺してきた。
言葉を持てない私になっていった。
自分を守るために言葉を飲み込み、ただ日々をやり過ごす。
その繰り返しの中で、私は自分自身を見失っていったのです。
私の時間は、奪われていた
今振り返ると、あの時間はとても貴重な私の人生の一部でした。
本来なら、もっと自由に、もっと自分らしく過ごせていたはずの時間。
それを抑圧の中で過ごさざるを得なかったことに、私は深い悲しみと悔しさを感じています。
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