「私の意見」は、どこにもなかった
「どこに行きたい?」
そう聞かれると、一瞬だけ自分にも選択肢があるような気がする。
でも、私が口にした場所はすぐに否定される。
「そこに行くと、こんなデメリットがあるよ」「本当にそれでいいの?」「子供たちを優先させないと」
そのたびに、自分の希望が間違っているような気がしてくる。
心が揺さぶられる感じが苦手だった。肯定をもらえないと、不安な気持ちが押し寄せてきた。
「どうしたら、いいねって言ってもらえるのかな・・・」
いつもそうやって何が夫の正解なのかを探していた。
夫に「本当にそれでいいの?って惑わせるいい方をやめてほしい」と言えば、
「デメリットを伝えて、その上で判断してほしいから」と返事があった。
また、言い訳だ。
「ごめんね。これから気を付けるね。」そんな言葉は夫から出てこないことが、
また私の中に、新たなストレスを産み出すんだ。
知らず知らずに、「透明な存在」になっていた
夫に気持ちを伝えれば「おかしいでしょ」と否定され、聞かれたことに答えれば「本当にそれでいいの?」と揺さぶりをかけてきた。
そうして、私は自分の意見を言うことができなくなっていった。
家庭の中で、「母」や「妻」である前に、私はひとりの人間です。
でもその当たり前が、いつの間にか消えていきました。
誰かの意見に従い、顔色をうかがい、余計なことは言わないように過ごす日々。
気づけば私は、空気のように扱われる存在になっていました。
名前も、意見も、感情も、役に立たないならいらない。
そんなふうに感じさせられて、私の輪郭はどんどんぼやけていったのです。
居場所は「家」にはなかった
リビングも、キッチンも、寝室も、家族みんなで暮らす家なのに。
そのどこにも、私は心からくつろげる場所を感じられなかった。
「ここにいていい」と思える時間もなかった。
夫がリビングにいるだけで、怖いと思った。
夫がいるときに子供に話しかけるのが怖かった。
子供と会話しているだけで、
「それは間違っていると心の中で思っているに違いない」ーーー
そうやって、そばにいるだけで否定されていると感じるようになっていった。
夫のいるリビングで、「これ面白いね!」というのも怖かった。
面白いと思っていることに”否定されるかも”ーーー
そう思って、ちょっとした感情を表現することも難しくなっていった。
家にいるのに寂しい。
誰にも気づかれない。
それは、物理的な孤独よりも深く、冷たい絶望でした。
「決定権を持てること」は、自分を取り戻す一歩
大きなことじゃなくていい。
- 自分で運転して好きな場所に行く
- 誰にも口出しされずに家事をこなす
- 気兼ねなく子どもと会話を楽しむ
そんな小さな「選択」を自分の手に戻すことで、自分を取り戻せると今は思えます。
すべてを誰かに委ねて、正解を他人に探す生活の中で、私の心はずっと「これは私じゃない」と叫んでいたのかもしれません。
私は「戻る場所」ではなく、「私の人生」を歩きたい
今、夫と顔を合わせない生活をしています。
夫のもとに戻れば、表面的には安定するかもしれない。
でもそれは、また「透明な自分」に戻るということでもある。
私は、私の想いで選び、私の言葉で決め、私の責任で生きていける人生を歩みたい。
たとえ不安定でも、誰かに支配された安定より、私は自分の人生を選びたい。
まとめ
「決定権のない生活」は、自分を見失っていく生活でした。
だからこそ、これからの私は「自分の意見を持つこと」をやめない。
たとえそれが小さな一歩でも、「ここが私の居場所だ」と思える場所を、自分の手で作っていきたいと思っています。
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