―「普通の会話」が、できなくなっていく感覚
人と会うのが、なぜこんなに怖いのだろう?
以前の私は、人と会って話すのが好きでした。
挨拶をして、笑い合って、何気ない会話を楽しんで。
そんな時間が、ささやかな癒しだったのに。
ある時から、それがだんだん苦しくなっていきました。
誰かに話しかけられるだけで、心臓がドキドキする。
声がうまく出せない、言葉が浮かばない。
「変だと思われないかな」「気を使わせてないかな」
そんな思いが、頭の中をぐるぐる巡って、言葉が出てこない。
それが、とても怖かったのです。
家の中で繰り返されていた“会話の失敗”
思い返せば、家の中での「会話」がいつも怖かった。
夫の前では、言葉を選ばなければならなかった。
正確に、誤解されないように、余計なことを言わないように。
何度も責められた経験が、私の中で「言葉=怖いもの」に変わっていった。
間違った言い方をしたら、怒られる。
思っていることを言っても、「そういうことじゃない」と否定される。
それが続いた結果、「黙っているのが一番安全」という結論にたどり着いてしまったのです。
外でも、言葉が出てこなくなった
家の中で話せなくなった私は、外でも同じように萎縮していきました。
ママ友との立ち話、スーパーのレジでの一言、PTAの会話。
どれもごく普通のやりとりなのに、言葉が出ない。
笑顔がうまく作れない。
そして帰り道に、何度も自分の言動を思い出して落ち込む。
「変なふうに見えたかもしれない」
「ちゃんと話せてなかった」
そんなふうに、自分を責めるクセがついてしまっていました。
「会話」は、信頼の上に成り立つものだった
最近、気づいたことがあります。
人と自然に話せるということは、その相手を「信頼できている」証なんだということ。
夫との会話で、私が「何を言っても無駄」と思い始めたころから、
私は少しずつ、自分の言葉を信じられなくなっていった。
そして、他人の前でも同じように自信を失っていった。
少しずつ、自分を取り戻したい
今でも人と話すのは怖い。
でも、少しずつでも「自分の言葉」を取り戻したいと思っています。
誰かに否定されても、それが私の本音なら、大切にしてあげたい。
失敗しても、どもっても、それでも「話してみよう」と思える自分でいたい。
人との会話を、もう一度温かいものとして感じられる日が来るように。
まずは、自分自身とちゃんと話していこうと思っています。
まとめ
「外で話すのが怖い」という感情の裏には、
「安心して話せなかった日々」の積み重ねがありました。
心の中で誰かに何度も否定されると、自分の言葉に自信が持てなくなる。
でも、それに気づいた今、もう一度言葉の力を信じてみたいと思います。
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