—— 楽しいはずの時間が、私には苦行だった
「家族の時間が一番の癒し」
きっと多くの人が、そう信じて疑わない。
でも私にとって、いつからかその時間は、
“逃げ出したいほど苦しいもの”に変わっていった。
「座ってるだけでしょ?」の一言が、心に刺さった
休日、夫の希望で遠出をするのが“日課”になっていた。
家族でお出かけ。一般的には幸せそうな風景かもしれない。
でも私にとっては、体も心もすり減らす行為だった。
産後、私は毎日疲れ切っていた。
授乳、夜泣き、家事、そして上の子の世話。
でも「きつい」と訴えた私に、夫はこう言った。
「え?だって移動中は座ってるだけでしょ?」
その言葉を聞いたとき、
私の中で、何かが静かに折れた。
行き先のプレッシャー、失敗すれば責められる
さらに、週末の外出には「企画」が求められた。
「どこ行く?」「ちゃんと考えてる?」
同じ場所は嫌がられるから、毎回新しい場所を模索した。
赤ちゃんを抱えながら、空いた時間でスマホをスクロールし続ける。
まるで旅行代理店のように。
なのに、行き先が微妙だったときは言われる。
「なんか…いまいちだったね。」
何が悪かったんだろう。
私のせいだったのかな。
そんな風に、毎週末が“評価されるイベント”になっていった。
外出先で、必死な私のことが見えない夫
出先では、夫がどんどん先に行ってしまうことも多かった。
赤ちゃんをあやして立ち止まっている私をよそに、
上の子を連れて、スタスタと進んでしまう。
「ちょっと待って」と言いたくても、届かない。
「こっちは今、泣いてる赤ちゃんをなだめてるのに」
心の中で何度も叫んだけど、夫は気づかない。
見ていない。
見ようとしない。
まるで、「子どもがいる前提」の行動ではなかった。
これが“家族の時間”なら、私はもう望めない
「楽しもう」と思って出かけるのに、
帰ってくると、どっと疲れが襲ってくる。
それを見て、夫は「疲れすぎじゃない?何もしてないのに」と言う。
私は、してないどころか、
“誰かの希望を叶えるためだけに動き続けていた”のに。
そんな時間を、また週末が来るたびに繰り返して、
私は次第に“家族と過ごす時間そのもの”が怖くなった。
期待され、責められ、疲れ果てて
家族での外出は、「希望」や「理想」で動く夫と、
「責任」と「義務感」で動く私のギャップの象徴だった。
本当は、出かけたくなかった日もある。
本当は、家でゆっくりしたかった。
だけど、「楽しませなきゃ」「がっかりさせたくない」
そんな気持ちで、いつも自分を押し殺していた。
家族の時間が、「私らしさを失う時間」になってしまった
ただ一緒にいるだけで、
心が休まる家族の時間を私はずっと望んでいた。
でもそこにあったのは、緊張と評価、そして孤独。
それを“怖い”と感じてしまうようになった私に、
「神経質すぎ」「考えすぎ」と言われたこともある。
でも、そうじゃない。
私は、ただ「安心して過ごせる時間」を求めていただけだった。
今だから思うこと
家族の時間が怖くなるほど、追い詰められる人がいること。
その人が「なぜそう感じるようになったのか」には、
必ず理由があるということ。
それを「我慢が足りない」と片付けないでほしい。
“当たり前の幸せ”が、誰かにとっては“終わらない戦場”であることも、
どうか知ってほしい。
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