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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】普通の家族を夢見ていた自分に気づいた

目次

—— いつか自然に、笑い合える日が来ると信じていた

「どこにでもある、普通の家族でいい」

そう願っていただけなのに、

それすら手に入らない日々が続いていた。

無理をしていた。

我慢していた。

でもそれは、「がんばればきっと、家族は自然にまとまっていく」

そんな希望を、どこかでずっと捨てきれなかったから。

私の中の“普通”とは

休みの日は、みんなで出かける。

子どもがはしゃぎ、親も笑っている。

夜ごはんを囲んで、今日あったことを話し合う。

それぞれが気遣い合いながら、自然に寄り添っていく。

テレビやSNSで見かける、

どこにでもいそうな家族。

そんな“普通”を、私は心の中に描いていた。

自分の家族も、少し時間をかければ、いつかきっと…と。

でも、現実は違った

出かければ、夫は自分のペースでどんどん進む。

私は赤ちゃんを抱え、上の子を追いかけ、気づけばひとり。

食事の時間は、静まり返っていた。

話そうとすれば、否定されたり、論破されたりする。

少しでも空気を乱せば、「おかしいのは私」になる。

だから、黙ることを覚えた。

どんなに頑張っても、

家庭に“ぬくもり”は戻らなかった。

むしろ、努力すればするほど、孤独は深くなった。

そしてある日、ふと気づいた。

私はずっと、

“普通の家族”になれると信じて、あがいていたんだ——と。

夢を見ていたのは、私だけだったのかもしれない

誰かが「変わろう」と思わなければ、家族は変わらない。

私ひとりの努力では、限界がある。

けれど私は、ひとりでその夢を支え続けていた。

自分を押し殺し、空気を読み、期待に応えようとして。

「家族のため」と言い聞かせながら、

本当は「普通の幸せがほしい」と、願っていただけだった。

諦めたくない気持ちと、もう限界だと思う気持ち

夢を見続けることは、時に希望になるけれど、

同時に、自分を苦しめる鎖にもなる。

「まだ頑張れば、きっと変わる」

「まだあきらめたくない」

そう思い続けていた私は、

現実を直視するのが怖かっただけかもしれない。

でも、

夢から覚めたからこそ見えてきたものもある。

それは、

“今のままでは壊れてしまう”という、はっきりとした危機感だった。

普通じゃなくてもいい。ただ、心が安心できる場所がほしい

私は、“普通の家族”を望んでいたけれど、

本当に欲しかったのは「安心」だった。

感情を抑えなくてもいいこと。

思ったことを口にしても責められないこと。

ちゃんと見てもらえること。

存在を、肯定してもらえること。

それがあるなら、

“普通”じゃなくてもよかったのかもしれない。

最後に

「普通の家族」になれなかったことを、

恥ずかしいとは思わない。

でも、「夢を見ていた自分」を責めることもしない。

あの頃の私は、

ただ、誰かと心を通わせながら生きたかっただけ。

ただ、あたたかな日常を信じたかっただけ。

その想いがあったから、今の私がある。

その夢があったから、今、自分を守ろうとしている。

それだけで、十分だと思っている。

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