――言葉じゃ届かない、私の叫び――
「ちゃんと話せば、わかってもらえる」
ずっとそう信じたかった。
夫婦だから、伝えればきっと通じると思っていた。
でも現実は、何度話しても、何を選んでも、
“私の気持ち”だけが宙に浮いたままでした。
話しても、否定されるだけだった
「私はこう感じた」
そう伝えた瞬間、返ってくるのは「そんなつもりじゃなかった」の一言。
「なんでそう思うの?」
「それはお前の受け取り方がおかしい」
「俺は悪くない」
そう言われるたび、私は間違っているのかもしれない、と自分を責めた。
でも、どれだけ言い方を工夫しても、
涙を流しても、心から訴えても――
結局、「理解される」ことはなかった。
言葉よりも、気持ちを見てほしかった
私が本当に欲しかったのは、正解やアドバイスじゃない。
ただ、「そう感じたんだね」「苦しかったんだね」って、
そのままの気持ちを受け止めてほしかった。
でも夫は、私の気持ちを“直そう”とした。
正論で説き伏せて、納得させようとした。
「おかしいのは私だ」と思わせるような言葉で、
“感情”というものをどんどん潰していった。
分かってほしいのに、届かない
会話のたびに、心が削られていく。
「何がそんなに不満なの?」と聞かれても、
それがうまく言葉にならないこともある。
だって苦しみは、言葉にできるほど単純じゃない。
傷つけられた一言、無視された空気、
見えない圧、張りつめた沈黙――
積もり積もったものが、私の中に「もう無理かもしれない」という諦めを生み出していった。
伝えるのをやめたのは、諦めたからじゃない
あるときから私は、あまり話さなくなった。
伝えても通じない、むしろ傷つくだけなら、
“言わない”ほうがまだマシだと思ったから。
でもそれは、私が冷めたからじゃない。
期待しなくなったからでもない。
本当は、誰よりも“わかってほしかった”んだ。
信じたかった。
夫婦でいられると、思いたかった。
もう一度、声が届く日がくるのだろうか
今も私は迷っています。
もう一度、気持ちを伝える勇気を持つべきなのか。
それとも、わかってもらえない現実を受け止めて、
次の一歩を選ぶべきなのか。
どちらに進むにしても、私はもう――
“自分の気持ちを押し殺す”ことだけは、したくない。
私の言葉が届かなくても、
せめてこの文章が、誰かの心に触れてくれたら。
そんな祈りのような思いで、
今日も私は、自分の気持ちを綴っていきます。
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