――あなたを疑いたいわけじゃない。けど、もう前みたいには信じられない――
信じたい。でも、信じられない
「信じてよ」と言われることがあった。
「そんなつもりじゃなかった」と釈明されることも。
私はそのたびに、自分の気持ちを無理やりねじ伏せてきた。
「そうだよね、私の思い過ごしかもしれない」
「悪気がないなら、責めちゃいけないのかも」
そうやって、疑う自分を責めてきた。
でも――それでもやっぱり、心がついていかなかった。
どうしても、あなたを“まっすぐに信じる”ことができなくなっていた。
心が怖がるようになった
あなたは「ありがとう」「ごめんね」と言えるようになった。
その言葉を、私は何度も聞いてきた。
話に耳を傾けるようにもなった。
でも、私の心はもう、
“あなたとの距離”を無意識にとるようになっていた。
言葉は届いても、心に染み込んでこない。
笑っていても、ふとした瞬間に警戒してしまう。
まるで、傷をかばうように本能が反応してしまうような、そんな感覚。
裏切られたというより、「一人だった」と感じた
私が傷ついたのは、
裏切られたからじゃない。
嘘をつかれたからでもない。
本当に苦しかったのは、
“私の気持ちが存在しないように扱われたこと”だった。
私の感じ方や、悲しみや、怒り。
それを「そんなふうに捉えたのはお前でしょ」と片付けられるたび、
私は少しずつ「ここにいてはいけない人間なんだ」と感じていた。
心の距離は、勝手に縮まるものじゃない
あなたがいくら歩み寄ってきても、
私の心がそれを受け取れなければ、距離は縮まらない。
「こっちは変わろうとしてるのに、まだ疑うのか」と言われても、
私の中では、まだ傷が癒えていない。
まだ怖くて、まだ本音が言えなくて、まだ息を潜めてしまう。
心の距離を埋めるには、
信じられなかった日々と、向き合う時間が必要なんだ。
私は、「信じられなかった自分」を責めたくない
これまで何度も、「私が敏感すぎるのかな」と思ってきた。
「もっと優しく受け止められたら」「もっと信じてあげられたら」と。
でも、もうそれはやめようと思う。
信じられなかったのは、心が限界を超えていたから。
私の感覚は、私を守るために働いていた。
だから今は、その感覚を否定せず、大切にしたい。
信用って、積み重ねるものだから
もう一度信じるには、時間がいる。
一度離れた心は、言葉や約束だけでは戻らない。
少しずつ。
言葉よりも行動で、態度で、日常で。
ようやく少しずつ戻っていけるかもしれない。
でもそれは、押しつけられるものじゃなくて、
私のペースで取り戻していくもの。
今の私は、まだ距離の中にいる
まだ私は、心の距離を取っている。
それは冷たさでも、意地でもない。
ただ、私自身を守るための自然な反応。
「信じて」と言われても、すぐには戻れない。
でも、信じたかった気持ちは確かにあった。
その悲しさを、今は自分の中でそっと抱きしめてあげたい。
コメント