「ありがとう」「ごめんね」
たった二言。でもその言葉が、どうしても手に入らなかった。
結婚して7年。
私は、ずっとその二言を待ち続けてきた。
心が通わない感覚に疲れ果て、声をかけることすらやめた日々。
そしてようやく、彼の口からその言葉がこぼれた日――
嬉しさと、戸惑いと、もう素直に受け取れない自分の存在に、私は気づいてしまった。
「思ってもないことは言えない」
夫は、私が「ありがとうって言ってもらえたら嬉しい」と伝えても、
「思ってもないことは言えない」と言い返した。
その言葉は、今でも胸に残っている。
私が“気持ちを受け取りたい”と思っていることさえ、
受け入れてもらえなかったような気がして。
私のしてきたことは、感謝に値しないものだったのだろうか。
ずっと心のどこかで、そんなふうに感じていた。
でも、ある日ぽつりと聞こえた一言。
会話を控えるようになって数カ月。
必要なことだけをやり取りするようになっていたある日、
夫が欲しそうにしていたものを、私は黙って手渡した。
そのときだった。
「…ありがとう。」
不器用で、ぎこちなくて、
こちらを見ようともしない小さな声。
でも、それはたしかに「ありがとう」だった。
思ったよりも心が動かなかった。
長年待ち続けた言葉だったはずなのに、
その瞬間、思ったよりも心が動かなかった自分がいた。
感動も、涙も、湧いてこなかった。
「あ、やっと言ったんだな」
そんな冷めた感情のほうが先にきてしまった。
あんなに欲しかった言葉なのに。
嬉しいはずなのに。
もしかしたら私は、
「ありがとう」が届く場所にもういないのかもしれない――
ふと、そんなことを思ってしまった。
時間は、想像以上に心を削る。
きっと、夫が「ありがとう」を言えるようになるまでに、
本人なりの葛藤や努力があったのだろう。
でも、私がその一言を聞くまでに、
私は想像以上に多くのものを失ってきた。
期待しては裏切られ、
願っては打ち砕かれて、
それでも信じたくて、信じ続けて、
やっと届いた言葉だった。
なのに――
それを素直に受け取れないほど、心がすり減ってしまっていた。
「ありがとう」が言えるようになった。それは確かに変化。
だからこそ、私は思う。
「ありがとう」が言えたことは、確かに変化だと。
夫の中にも、何かが少しずつ動いてきた証拠。
小さな一歩かもしれないけれど、その一歩がなければ、
きっと私は今も、ただの「役割」としてしか見られていなかった。
私はもう、前のようには戻れないかもしれない。
でも、少しだけ「遅れてきた変化」にも目を向けてみようと思う。
なぜなら、あの日の私は、
その一言をずっと、ずっと待っていたのだから。
「ありがとう」に救われる未来が、どこかにあることを願って。
言葉は、過去を帳消しにはしてくれない。
でも、未来の関係を少しずつ変えていくことはできると思っている。
だから今日も私は、ほんの少しだけ期待してみる。
もう一度、ちゃんと心が通じ合う日が来ることを。
そして今度こそ、
「ありがとう」が、ちゃんと心に届く日が来ることを。
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