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【第5章|夫が変わった日】夫が“自分の世界”に私を当てはめようとしてきたことに気づくまで

――私の気持ちが理解されないのは、私の伝え方が悪いから?

――それとも、私の考え方が変なの?

ずっと、自分のせいだと思っていた。

目次

最初から「どう思う?」なんて聞かれなかった

結婚当初から、夫はすべてを「自分の考え」で進めた。

家事のやり方、子育ての方針、義実家との付き合い方――

私の意見が尊重されることはほとんどなかった。

「今日は○○に行くから」

「この日は実家に行くよ」

「洗濯物の干し方、そうじゃないから」

まるで、私が“妻として当然こうすべき”という台本を

最初から夫の中に用意していたかのようだった。

私は、その台本通りに動かされていた。

嫌だと言えば、「おかしい」と否定される

「今月は義実家には行きたくない」と伝えれば、

「なんで? おかしいでしょ?」

「一人になりたい」と言えば、

「なんで? 家にいて何が大変なの?」

私の感じ方や希望は、すべて“否定の材料”にされた。

しかも、夫の言葉は容赦がなかった。

人格を責めるような言葉、理屈でねじ伏せるような言葉、

「わかってない」「だからダメなんだ」というような言い方で徹底的に押し込められた。

“意見”ではなく“正解”として押しつけられる

夫の言動の根底には、「自分が正しい」という強い確信があった。

それは“意見”ではなく、“当然のルール”として私にぶつけられた。

私が「でも私はこう思う」と言えば、

「考え方がズレてる」「そんなふうに思う人、他にいない」と即否定。

まるで、「間違っているのは私で、正すべき」かのような態度。

私は、ただ「違う考え方を持った一人の人間」として扱われたかった。

でも夫にとって私は、**“自分の世界の中で正しく動くべき存在”**だったのだと思う。

気づいたのは、心が壊れかけたとき

ある日ふと、「もう何を言ってもムダだ」と感じている自分に気づいた。

何を言っても跳ね返される。

何を感じても責められる。

“私の中身”がないことにされたような感覚。

心が折れるって、こういうことなんだと思っ

私は「私」として扱われていなかった

夫は、正しさや効率、常識を基準にして生きていた。

それは、彼の中では揺るがない「軸」だったのだと思う。

でもその軸は、私のものとは違っていた。

私が泣いても、「なんで泣くの?」

私が怒っても、「感情的になるな」

私が黙っても、「黙ってるってことは、理解したってことだよね」

私は、“人”としてではなく、“夫の望む反応をする存在”として見られていたのだと思う。

「話せばわかる」が、通じない理由

私はずっと、「ちゃんと話せば伝わる」と信じていた。

でも、夫の中には“私の言葉をそのまま受け止める器”がなかった。

彼のフィルターを通して、「正しいか間違っているか」「理にかなっているかどうか」で判断される。

だから、どんなに頑張って言葉を選んでも、

“その世界に合わない意見”は、結局切り捨てられる。

気づいた先にあったもの

それに気づいてから、私はようやく自分を責めるのをやめることができた。

「わかってもらえないのは、私が未熟だから」ではなかった。

「話し合いにならないのは、私の表現力が足りないから」でもなかった。

私は、ただ、別の世界で生きている人とぶつかっていただけだった。

しかも、彼は私の世界を見ようとはしていなかった。

自分の世界に私を当てはめ、「そうすることが愛情」だと信じていた。

終わりに|“当てはめ”から解放されて初めて見えたもの

本当の愛情って、きっと、

“相手を自分の枠に合わせようとしないこと”なんだと思う。

今の私は、もう自分を歪めなくていい。

泣いても、黙っても、笑っても――そのままの私でいていい。

そんなふうに、自分に許可を出せるようになったのは、

“当てはめられていたこと”に気づけたからだった。

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