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【第6章|心療内科にかかった日のこと】話せない日々、ノートだけが私の心の避難所だった

目次

言葉を封じられた日々の中で
─ 夫に自分の思いを伝えることを諦めた理由

夫との生活の中で、私は自分の気持ちを話すことを、いつしかやめていました。

話せば否定される。伝えようとすれば、「そんなのおかしい」「何が言いたいの?」と突き放される。

だんだんと、私の言葉は飲み込まれていきました。

「話しても無駄だ」

「伝えたところで、また傷つくだけだ」

そう思うようになってから、私は本当の気持ちを口にしなくなっていきました。

でも、感じないふりをしても、心の中にはたくさんの思いが積もっていく。

悲しかったこと、悔しかったこと、寂しかったこと。

それをどこにも出せずにいると、心の中に黒いかたまりがどんどん溜まっていくようで、息が詰まりそうでした。

ノートだけが、私の逃げ場だった
─ ペンを握ることで守った心の居場所

そんな私が、唯一、素直になれた場所――それが「ノート」でした。

毎晩、ペンを持ってノートを開き、言葉を吐き出す。

「今日はこんなことを言われて、つらかった」

「また言い返せなかった。悔しい」

「本当は、あのとき泣きたかった」

ページが進むたびに、私の心の中のもやもやが少しずつ外に出ていきました。

最初はただの「発散」でした。

でも続けていくうちに、自分の気持ちが少しずつ見えてきたのです。

「あのとき傷ついたのは当然だった」

「私がおかしいんじゃない。あの言い方がひどかったんだ」

書くことで、自分の感情を整理し、認めることができるようになっていきました。

書くことで、私は自分を保っていた─ 感情を閉じ込めずに吐き出すということ

ノートに書き出すことで、私は自分の心を守っていたのかもしれません。

誰にも見せない小さな世界だけれど、そこには私の本音がありました。

それがなかったら、私はもっと早く壊れていたかもしれません。

心療内科に通うよりも前、薬を飲むよりも前。

ノートは、私にとって最初の「自己回復の手段」だったのです。

今でも、ときどきノートを読み返すことがあります。

当時の自分の文字に、手の震えがにじんでいたり、涙でにじんだ跡が残っていたりするページもあります。

でもそれは、あのとき確かに私は「感じていた」証拠であり、

黙って耐えるだけじゃなく、必死で自分を守ろうとしていた足跡なのです。

「よく頑張ってきたね」と、自分に言える今
 ─ 過去の自分と今の自分をつなぐノートの力

今でも、私は毎日ノートを書いています。

心療内科に通う今も、書くことは変わらず、私にとって大事な習慣です。

昔のノートを読み返してから、今のページをめくると、

心が少しずつ健やかになっていることを感じられます。

あんなに苦しかった私が、今はちゃんと眠れて、食べられて、

少しずつでも「私として」生きていけている。

それが、文字のひとつひとつから伝わってくるのです。

「ここまでよく頑張ってきたね」

そのたびに、私は自分にそう声をかけたくなります。

誰に認められなくても、自分だけは、自分の味方でいたい――

ノートの中の私は、いつもそう願って、今日もまた、ページをめくります。

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