――「もういいや、許した方が楽になれる」
そう思った日も、
「どうしてあんなことをされたのに、許さなきゃいけないの」と心が叫んだ日もありました。
私はずっと、この“狭間”を行き来してきました。
許せない、けれど苦しい
産後、体も心もボロボロだったとき。
初めて夫の赴任先についていった不安だらけの日々。
子育てと新しい土地での生活に必死で、助けがほしいと感じていたとき。
そんな「きついとき」に限って、夫は私の話を聞いてくれませんでした。
「大変だったね」「大丈夫?」と声をかけてほしいだけだったのに、
返ってくるのは、冷たい言葉、突き放すような態度。
「そんなの、みんなやってるよ」
「何がそんなにきついの?」
まるで私のしんどさが「甘え」かのように扱われるたびに、
私は、精神的に追い詰められていきました。
ただでさえ孤独だったのに、さらに孤独にされるような感覚。
支えてほしい相手に突き放される痛みは、今でも私の中に深く残っています。
「許した方が楽」は本当?
そんな日々を振り返ると、怒りがこみあげます。
「あのとき、どうして手を差し伸べてくれなかったの?」
「私の必死な声は、そんなに価値がなかったの?」
一方で、こんな考えもよぎります。
「もう過去に縛られるのはやめたい」
「許した方が、自分の心が軽くなるのかもしれない」
「恨みや怒りを持ち続けるのは、私自身が苦しい」
確かにそうかもしれません。
でも、無理に「許さなきゃ」と自分に言い聞かせるほど、逆に苦しくなる。
その“許し”が、自分の本音を押し殺して得るものなら、それは“我慢”でしかないと感じました。
許しとは、「自分を許すこと」だった
あるとき、ふと気づいたのです。
私が本当に許したかったのは、「夫」ではなく「自分自身」だったと。
――あのとき、もっとちゃんと助けを求めたかった。
――もっと早く気づいて、逃げたかった。
――どうして我慢してしまったんだろう。
そんな後悔や自己否定を、ずっと心の奥で抱えていたのかもしれません。
でも、あのときの私は、精一杯だった。
誰よりも自分が、それを認めてあげなければいけなかったのです。
「自分のことを許そう」
そう思えたとき、少しだけ、心が軽くなりました。
今の私が選ぶこと
私は今、「無理に許そうとしない」ことを選んでいます。
許せない自分も、許したいと思う自分も、そのどちらも否定せずに認めてあげる。
そして、過去の自分を、今の私が抱きしめてあげる。
「まだ許せない」
それが、今の私の正直な気持ち。
だから、無理に“きれいな気持ち”になろうとしない。
その揺れの中で、自分の心を大切にしていきたい。
許すこと
許すって、簡単じゃない。
「楽になるために許したい」気持ちも、
「こんな仕打ちは、やっぱり許せない」という怒りも、
どちらも、心からの本音です。
そのどちらかを選ばなきゃいけないんじゃなくて、
どちらの気持ちもあるままで、揺れている今の私を大切にしていきたい。
そして、誰かに「許す」ことよりも、
まずは「自分を許す」ことから始めていい。
そう思えたことで、私は少しだけ前を向けるようになりました。
最後に
私の物語は、まだ終わっていません。
許せない気持ちと、少しずつ前に進みたい気持ちの両方を抱えながら、今も毎日を生きています。
これから少しずつ、「なぜ私はあんなにも苦しかったのか」を言葉にして、見つめ直していきたいと思います。
次は、そんな自分自身を分析するパートに入ります。
感情の渦の中で見えなくなっていた「背景」や「構造」に、少しずつ光を当てていきます。
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