MENU

【第8章|家庭内別居を始めた日】家の中で、物理的に距離をとるようになった

同じ家にいながら、違う部屋で過ごすようになった。

リビングで顔を合わせると、気持ちが張り詰めてしまう。

だから私は、なるべく一人でいられる時間を選んだ。

キッチンに立つ時間をずらしたり、先に寝室に入ったり。

リビングにいたとしても、夫が来たらそっとその場を離れた。

こんな関係、おかしいと思いながらも、

それでもその「距離」が私には必要だった。

私は、発言すること、行動すること自体が怖くなっていた。

言葉を口にすれば、どこかで否定される。

「それ、違うよ」「なんでそんなこと言うの?」

些細な一言さえ、正しさを問われる。

そうやって何度も何度も、自分の感覚を否定されてきた。

だから、同じ空間にいるだけで緊張した。

顔色をうかがい、言葉を飲み込んで、気配を殺していた。

それでも、うっかり一言発せば「間違ってる」と言われるのではとビクビクしていた。

もう無理だった。

一緒にいることが、私をすり減らしていくのがわかったから。

物理的な距離が、ようやく私に「息をする余白」を与えてくれた。

何も考えずに過ごせる時間が、ようやく戻ってきた。

目次

私が苦しんでいるのに、夫は平気な顔をしていた

つらくて、孤独で、息をするのもやっとだったあの頃。

それなのに夫は、まるで何事もないかのように日々を過ごしていた。

冗談を言って笑ったり、子どもと無邪気に遊んだり、ゲームに夢中になったり。

「なんでそんなに楽しそうでいられるの?」

「私がこんなに苦しんでるのに、どうしてそんな顔でいられるの?」

心の中で何度も何度も叫んでいた。

その姿を見るたびに、私はさらに苦しくなった。

自分の痛みや苦しみが、まるで「なかったこと」にされていくようで。

「私の苦しみなんて、どうでもいいんだ」

そう思ってしまうほど、彼の態度はあまりにも無関心に見えた。

苦しんでいる私が、異常なのかと思えてしまう瞬間すらあった。

でも――本当はそうじゃない。

傷ついている人が、声を上げられない状況が間違っている。

見て見ぬふりをされる関係が、おかしい。

心がすり減るような日々の中で、

私は少しずつ、自分の心の声を無視しないことを覚えていった。

自分の感覚を信じていいんだ、と。

そして今、少し距離をとったこの場所から、

ようやく「私は私のままで苦しんでよかった」と思えるようになった。

それは、私が弱いからじゃなくて、ちゃんと感じ取る心があるから。

大切なことを、見逃さないまなざしがあったから。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次