同じ家にいながら、違う部屋で過ごすようになった。
リビングで顔を合わせると、気持ちが張り詰めてしまう。
だから私は、なるべく一人でいられる時間を選んだ。
キッチンに立つ時間をずらしたり、先に寝室に入ったり。
リビングにいたとしても、夫が来たらそっとその場を離れた。
こんな関係、おかしいと思いながらも、
それでもその「距離」が私には必要だった。
私は、発言すること、行動すること自体が怖くなっていた。
言葉を口にすれば、どこかで否定される。
「それ、違うよ」「なんでそんなこと言うの?」
些細な一言さえ、正しさを問われる。
そうやって何度も何度も、自分の感覚を否定されてきた。
だから、同じ空間にいるだけで緊張した。
顔色をうかがい、言葉を飲み込んで、気配を殺していた。
それでも、うっかり一言発せば「間違ってる」と言われるのではとビクビクしていた。
もう無理だった。
一緒にいることが、私をすり減らしていくのがわかったから。
物理的な距離が、ようやく私に「息をする余白」を与えてくれた。
何も考えずに過ごせる時間が、ようやく戻ってきた。
私が苦しんでいるのに、夫は平気な顔をしていた
つらくて、孤独で、息をするのもやっとだったあの頃。
それなのに夫は、まるで何事もないかのように日々を過ごしていた。
冗談を言って笑ったり、子どもと無邪気に遊んだり、ゲームに夢中になったり。
「なんでそんなに楽しそうでいられるの?」
「私がこんなに苦しんでるのに、どうしてそんな顔でいられるの?」
心の中で何度も何度も叫んでいた。
その姿を見るたびに、私はさらに苦しくなった。
自分の痛みや苦しみが、まるで「なかったこと」にされていくようで。
「私の苦しみなんて、どうでもいいんだ」
そう思ってしまうほど、彼の態度はあまりにも無関心に見えた。
苦しんでいる私が、異常なのかと思えてしまう瞬間すらあった。
でも――本当はそうじゃない。
傷ついている人が、声を上げられない状況が間違っている。
見て見ぬふりをされる関係が、おかしい。
心がすり減るような日々の中で、
私は少しずつ、自分の心の声を無視しないことを覚えていった。
自分の感覚を信じていいんだ、と。
そして今、少し距離をとったこの場所から、
ようやく「私は私のままで苦しんでよかった」と思えるようになった。
それは、私が弱いからじゃなくて、ちゃんと感じ取る心があるから。
大切なことを、見逃さないまなざしがあったから。

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