――「知花の通っている心療内科で、俺も見てもらえないかな?」
そう言われたとき、私は驚いた。
夫がそんな言葉を口にするなんて、想像もしていなかったからだ。
彼が言った理由はこうだった。
「俺を見てもらうことで、知花に役立てるかもしれないと思った」
その言葉に、私はどこか戸惑いながらも、
「それなら…」と自分の通う心療内科に相談し、夫の受診を承諾した。
真の理由は、別にあったのかもしれない
しかし後日、夫の口から語られたのは、
職場での人間関係のトラブルだった。
自分の言葉が原因で、同僚とぶつかったという話。
私は、こう思った。
「ああ、これが本当の理由だったのかもしれない」
自分自身のために受けようとしたカウンセリング。
それは良いことだと、頭ではわかっている。
でも、どこか悔しかった。
私の苦しみは、その程度のきっかけにもならなかったのかと。
私は、ずっと「気づいてほしかった」
これまで、何度も「苦しい」と伝えてきた。
でも夫は、その言葉の意味を深く考えることはなかったように思う。
ネットで調べるうちに、
「もしかしたら、夫には何らかの発達障害や特性があるのかもしれない」
そんな可能性も考えるようになった。
だからこそ、カウンセリングを受けるという選択は、
彼にとって必要な一歩だと思った。
そして私も、自分の通っているクリニックにお願いして、彼の受診を受け入れてもらった。
変化の兆しと、心の距離
夫は少しずつ、自分を見つめるようになった。
カウンセリングのあと、「自分の言い方が悪かったのかもしれない」と口にするようにもなった。
それは、これまでにはなかった変化だった。
けれど私は、その変化を素直に喜べない自分がいることにも気づいていた。
「私のため」ではなく、「自分のため」に受けたカウンセリング。
それを否定するつもりはない。むしろ、そのほうが本物かもしれない。
でもやっぱり――寂しかった。
私自身の心を守るために
夫が変わろうとしていることは、確かに前向きなことだ。
でも、私の心に積もった傷や疲れが、すぐに癒えるわけではない。
だから私は、夫がどう変わるかをただ見守るだけではなく、
自分自身の回復を最優先にすると決めた。
たとえ夫がカウンセリングで成長していっても、
私がそれについていけないときもある。
それでもいい。
今は、自分の心のペースを大切にしたい。

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