「私の夫、モラハラかもしれない」
そう言葉にしたのは、誰にでもではありませんでした。
本当に初めて、ちゃんと「言えた」と思えたのは――転勤先で出会った、一人のママ友でした。
その人が話してくれたから、私も話せた
ある日、彼女がぽつりと話してくれたのです。
「実はね、うちうまくいってなくて。不倫されて…まだ許せてないの」って。
明るくて、しっかり者に見えた彼女のそんな一言に、私は驚きました。
そして同時に、不思議な安心感があったんです。
あ、この人も、傷を抱えて生きているんだ――そう思えたから。
それをきっかけに、私も少しずつ口を開きました。
夫の言葉の冷たさ、話を聞いてくれないこと、
「それはおかしい」と否定されてばかりで、どんどん自分が壊れていったこと。
初めて、「モラハラっていうのかな…」と声に出しました
気づけば私は、夫に言われたひどい言葉や、私の話を全然聞いてくれなかったこと、
寂しいと伝えても一人になりたいと言われ、ゲームに逃げられていたこと、
そして、どんなに苦しくても「私の気持ちはおかしい」と否定され続けた日々のこと。
誰にも話せなかったことを、そのママ友にだけは、すべて話すことができました。
「それ、モラハラだよ。最低だね……」
そう言ってくれた彼女の言葉に、私は初めて自分の感覚を信じてもいいのかもしれないと思えました。
「私だけじゃなかったんだ」――その事実が、どれほど心を軽くしたか。
モラハラだな、最低だな
そう言ってくれたことが、また嬉しかった。
涙が出るほど、嬉しかった。
今はまた、話せなくなった環境で
けれど今、また引っ越して、新しい土地にいます。
あのときのママ友とも、会えなくなってしまいました。
簡単に本音を話せる人なんて、そう多くない。
だからこそ、今のこの環境は正直、苦しくて、さみしい。
でも――
「人に話すことで、自分が救われることがある」
あの体験が教えてくれたその感覚は、今も心に残っています。
今も彼女とは連絡を取り合っています。
ほんの一言のやりとりでも、そこに“つながり”があることが、私にとっては大きな支えです。
本当に、ありがたい存在です。
最後に
「誰にも言えなかったことを、話せた」
その体験は、私にとって小さな奇跡でした。
あの日のあの時間がなかったら、私は今もずっと心の中で言葉を飲み込んで、
ひとりで苦しんでいたかもしれません。
だから私は、これからも思い出すと思います。
「言える相手がいることが、どれだけ心を救うか」を。
もし、今苦しみを抱えている人がいたら――
無理に言葉にしようとしなくてもいいけれど、
いつか、ほんの少しだけでも誰かに話せたとき、
その瞬間が、きっと自分を変えるきっかけになると思います。
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