おかしいと思っても、言葉にできなかった
私はずっと、声をあげられなかった。
おかしいと思っていたのに、何も言えなかった。
「ありがとう」も「ごめんね」も言えない人と暮らしながら、
苦しいと感じることがあっても、それを「苦しい」と言葉にすることができなかった。
知らない土地と、誰にも頼れなかった日々
結婚してすぐ、私は夫の転勤にあわせて知らない土地に引っ越した。
誰も知り合いがいない場所。頼れる人もいない、慣れない環境。
その孤独が、最初の沈黙の理由だったと思う。
親には心配をかけたくなかった。
「大丈夫」と言っていたかったし、自分でも「大丈夫だ」と思い込みたかった。
だから、ほんの些細な違和感すらも飲み込んで、黙って過ごしていた。
少しずつ積もっていった「違和感」
それでも、少しずつ積み重なるものはあった。
強い言い方。小さな無視。否定的な言葉。
私が話そうとすれば遮られ、提案すれば否定された。
でも、「これくらい、どこにでもあることかもしれない」──そう思い込もうとした。
誰かに話すことができなかった
ようやく友人に会えるタイミングがきたころには、
夫の言動があまりにもひどくなっていた。
けれど、私はそのすべてを話すことができなかった。
「引かれてしまうかもしれない」
「信じてもらえなかったらどうしよう」
「私の方が悪いって思われるかもしれない」
そんな不安が、喉を塞いでいた。
「モラハラ」とはっきり認識できなかった理由
そして何より、当時の私はまだ「これはモラハラなんだ」と、はっきり認識できていなかった。
彼の言葉が酷いと感じても、
「私の捉え方が大げさなのかもしれない」
「感情的になっている私が悪いのかもしれない」
──いつのまにか、自分の感覚を否定するクセがついていた。
気づいていた。でも、認めたくなかった
本当は、気づいていた。
傷ついていたし、泣いていた。
でも、認めてしまったら、自分の人生の選択が間違っていたことになる気がして。
間違いを認めるのが怖くて、私は沈黙を選び続けた。
「声をあげなかった」のではなく「あげられなかった」
だから私は、「声をあげなかった」のではなく、
「あげられなかった」んだと思う。
誰かを守ろうとして、自分を責めて、
そして、自分自身を疑って。
今なら、あの時の私にこう言ってあげたい。
「それは間違ってるって、言ってよかったんだよ」
「感じたことを、誰かに話してよかったんだよ」
「あなたの感覚は、ちゃんと正しかったんだよ」って。
次回予告|産後の変化と、深まる心の距離
次回は、産後の変化と、深まる心の距離について書いていきます。
「変わってほしい」と願いながら、それでも変わらなかった現実と、
その中で私が自分をどう守ったかを記録していきたいと思います。
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