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【第3章|産後の孤独と自己否定】育児の喜びを、誰にも共有できなかった

赤ちゃんが初めて笑った日、指をぎゅっと握ってくれた日、寝返りを打った日、ひとつひとつが驚きと感動にあふれていました。

でも──

その小さな「うれしい」を、私は誰にも話すことができませんでした。

転勤族の妻として、孤独な育児のスタート

私は転勤族の妻で、地元からも家族からも、そして仲の良かった友人たちからも遠く離れた土地での出産・育児でした。

慣れない土地での生活、知り合いのいない毎日。赤ちゃんとの生活はもちろん幸せだけれど、ふとした瞬間に「誰かとこの喜びを分かち合いたい」と思うことが増えていきました。

「今日あったこと」を話しても、返ってこない言葉

もちろん、最初に思い浮かんだのは夫でした。

「今日ね、こんなことができたんだよ」「すごく可愛くてさ」

そんなささいな話を、夕飯のときや寝る前にぽつぽつ話してみました。

けれど返ってくるのは、

「……そうなんだ」

と無表情なひと言か、あるいは話半ばで遮られて、「で、それ何がすごいの?」「そもそも、そうならないようにしなよ」なんて叱責の言葉。

喜びを共有できないことで、育児の幸せが霞んでいく

赤ちゃんの成長を素直に喜んでもらえたら、私の毎日はきっともっと明るかった。

「すごいね」「よく頑張ってるね」「大変だったね」

そんなふうに返してもらえるだけで、どれだけ報われたか分かりません。

話すたびに反応が薄かったり否定されたりすると、やがて話すこと自体が怖くなっていきました。

そして私は、育児の中で感じた“うれしい”を、誰にも伝えることができなくなってしまったのです。

幸せなはずの時間が、取り戻せない「苦しい記憶」に

きっとあの頃、私には「聞いてくれる誰か」が必要だった。

うまく言葉にできなくても、ただ「うんうん」って聞いてくれるだけで、私は救われたと思うんです。

あの時間は、もう取り戻せません。

思い出そうとすると、胸の奥が苦しくなります。

幸せなはずの時間に、寂しさと虚しさをまとっていたことが、今も私の心に重く残っています。

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