― 「ごめん、そんなつもりはなかった」の繰り返しに壊れていった私
「意図はなかった」
「そんな風に受け取ると思わなかった」
「傷つけるつもりはなかったんだよ」
彼の口から何度も繰り返されてきた言葉たち。
それを聞くたび、私は心の中で叫んでいました。
――じゃあ、私はなぜこんなにも苦しいの?
――なぜ、何度も「やめて」と伝えたのに変わらなかったの?
確かに「支配してやろう」「管理してやろう」というあからさまな意図は、なかったのかもしれません。
でも、それでも私は、彼の言動に何度も傷つき、
まるで“私物”のように扱われていると感じていた。
「気をつけて」と言われ続けた日々
何かを決めようとすると、必ず言われる。
「それは後悔するかもしれないよ」
「先にちゃんと調べた?リスクもあるからね」
「ダメだった時の選択肢はちゃんと考えてる?」
「大丈夫?本当に理解してる?」
まるで、私は一人じゃ何も判断できないみたいだった。
私なりに考えたうえで選んだのに、
「ちゃんと考えた?」と、繰り返し“正しさ”で押し返される。
最初は「気をつけてくれてるのかも」と思おうとしたけど、
気づけば、私は何をするにも不安になり、萎縮し、
自分の感覚を信じられなくなっていった。
「大切だからこそ、言ってるんだよ」
その言葉も、私は何度も聞いてきました。
「知花が困るとかわいそうだから」
「大事だから、先に止めておきたかっただけ」
でもそれは本当に、私のためだったんだろうか。
私が困る姿を見たくなかったのではなく、
私が失敗することが、彼にとって耐えられなかっただけじゃないか
――そんな疑問が、どうしても消えなかった。
「俺はそんなつもりじゃなかった」
何度も繰り返された、あの一言。
でも、それがいちばん私を混乱させた。
「だったら、どうして何度も続けたの?」
「どうして“嫌だ”と伝えても、伝わらなかったの?」
まるで、私の感じた痛みよりも
“彼が意図していなかったこと”の方が重要みたいだった。
「意図がない」ことが、私を孤独にした
意図がないのなら、私は一体、
何に怒ればよかったのか?
何を責めればよかったのか?
彼は謝る。でもその言葉の奥には「俺に悪気はなかったから」という前提がある。
それが、どんな言葉よりも私を孤独にさせた。
「それも事実だよね」と言ってくれた日
ある日、私が思いをぶつけたとき、
彼は少し黙ったあと、こう言いました。
「それも事実だよね。俺がしてきたこと、そう受け取られても仕方なかったと思う」
初めて、私の感覚が“正しさ”にかき消されなかった。
「そんなつもりじゃなかった」ではなく、
**「それでも、そう受け取らせてしまった」**と、受け止めてくれた言葉。
でも、それでも私は簡単に信じなかった。
信じられるようになるには、
もっとたくさんの時間と、変化と、実感が必要だと思っていたから。
「言葉が届くようになるには、時間が必要だった」
あの一言だけで、すべてが癒えるわけじゃない。
でも、「私の気持ち」が、やっと「正しさ」に飲み込まれなかったあの日。
私が自分を守るために貼ってきた“感じないふり”の膜が、
ほんの少し、緩んだ気がした。
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