――「俺、カウンセリングに行ってみようと思う」――
その言葉を聞いたとき、私は一瞬、信じられない気持ちになった。
けれど同時に、「ようやくここまで来た」と、長く閉ざされていた扉が少し開いたような気もした。
深く謝る夫の姿に、驚いた
初めてカウンセリングに行ったのちに、夫は自ら口を開いた。
これまでの自分の言動、私に対してしてきたことの一つひとつを振り返り、
「本当に申し訳なかった」と、はっきりと謝ってきた。
これまで、「悪いと思っていないのに謝れない」と頑なだった夫の口から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
それだけで、私の心のどこかがふっと力を抜いたのを感じた。
さらに、「カウンセリングを通して、まずは自分と向き合ってみたい」と話してくれた。
それは、私が何年も待ち望んできた言葉でもあった。
自ら話し出した職場でのトラブル
夫は、その日のうちに自分の職場での出来事も話してくれた。
上司や同僚とうまくいかず、感情的にぶつかってしまうことがあったこと。
それを機に、他者との関係性の作り方に問題があると感じ始めたこと。
私に責任を押しつけるのではなく、
**「自分の中にも原因があるのかもしれない」**と、ようやく認め始めたように見えた。
そんな夫の姿に、私は「もしかしたら、少しずつ変われるのかもしれない」と、わずかに希望を抱いた。
でも、すぐにぶつかる“いつもの壁”
けれど、それで全てが変わるわけではなかった。
話し合いの中で、夫はすぐに“言い訳”を始めてしまう。
「それはそういうつもりじゃなかったんだ」
反省しているように見えたと思えば、すぐに過去の考えや言い分が持ち出される。
反省しているのか、自分を守りたいだけなのか――聞いている私には、わからなくなる瞬間が何度もあった。
「理解した」と言われても、置き去りにされた私の気持ち
ある日の会話で、夫はこう言った。
「うん、知花の気持ちはわかったよ。理解したつもりだよ」
その言葉を聞いたとき、私は少しだけ安心した。
ああ、ようやく伝わったのかもしれない、と。
けれど、その次の瞬間には、こう続けられた。
「でも俺は、あのときこう思ってたんだ」
「俺なりに、こういう意図があって言ったんだよ」
そう言われたとき、不思議と怒りよりも寂しさがこみ上げてきた。
私の話を「わかった」と言いながら、すぐに自分の考えに話を戻してしまう。
気づけば私は、また“説明される側”に戻っていた。
私が欲しかったのは、反論でも自己弁護でもなかった。
「そう感じたんだね」「辛かったね」と、ただそこに心を寄せてほしかっただけ。
なのに、また“正しさ”や“意図”の話にすり替えられて、
私の感情はそこに残されたまま、どこにも届かずに終わってしまった。
一番苦しかったのは、「理解した」と言われながら、
その直後に置き去りにされたと感じたことだった。

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