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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】決定権のない生活、私の居場所はどこにある?

目次

「私の意見」は、どこにもなかった

「どこに行きたい?」

そう聞かれると、一瞬だけ自分にも選択肢があるような気がする。

でも、私が口にした場所はすぐに否定される。

「そこに行くと、こんなデメリットがあるよ」「本当にそれでいいの?」「子供たちを優先させないと」

そのたびに、自分の希望が間違っているような気がしてくる。

心が揺さぶられる感じが苦手だった。肯定をもらえないと、不安な気持ちが押し寄せてきた。

「どうしたら、いいねって言ってもらえるのかな・・・」

いつもそうやって何が夫の正解なのかを探していた。

夫に「本当にそれでいいの?って惑わせるいい方をやめてほしい」と言えば、

「デメリットを伝えて、その上で判断してほしいから」と返事があった。

また、言い訳だ。

「ごめんね。これから気を付けるね。」そんな言葉は夫から出てこないことが、

また私の中に、新たなストレスを産み出すんだ。

知らず知らずに、「透明な存在」になっていた

夫に気持ちを伝えれば「おかしいでしょ」と否定され、聞かれたことに答えれば「本当にそれでいいの?」と揺さぶりをかけてきた。

そうして、私は自分の意見を言うことができなくなっていった。

家庭の中で、「母」や「妻」である前に、私はひとりの人間です。

でもその当たり前が、いつの間にか消えていきました。

誰かの意見に従い、顔色をうかがい、余計なことは言わないように過ごす日々。

気づけば私は、空気のように扱われる存在になっていました。

名前も、意見も、感情も、役に立たないならいらない。

そんなふうに感じさせられて、私の輪郭はどんどんぼやけていったのです。

居場所は「家」にはなかった

リビングも、キッチンも、寝室も、家族みんなで暮らす家なのに。

そのどこにも、私は心からくつろげる場所を感じられなかった。

「ここにいていい」と思える時間もなかった。

夫がリビングにいるだけで、怖いと思った。

夫がいるときに子供に話しかけるのが怖かった。

子供と会話しているだけで、

「それは間違っていると心の中で思っているに違いない」ーーー

そうやって、そばにいるだけで否定されていると感じるようになっていった。

夫のいるリビングで、「これ面白いね!」というのも怖かった。

面白いと思っていることに”否定されるかも”ーーー

そう思って、ちょっとした感情を表現することも難しくなっていった。

家にいるのに寂しい。

誰にも気づかれない。

それは、物理的な孤独よりも深く、冷たい絶望でした。

「決定権を持てること」は、自分を取り戻す一歩

大きなことじゃなくていい。

  • 自分で運転して好きな場所に行く
  • 誰にも口出しされずに家事をこなす
  • 気兼ねなく子どもと会話を楽しむ

そんな小さな「選択」を自分の手に戻すことで、自分を取り戻せると今は思えます。

すべてを誰かに委ねて、正解を他人に探す生活の中で、私の心はずっと「これは私じゃない」と叫んでいたのかもしれません。

私は「戻る場所」ではなく、「私の人生」を歩きたい

今、夫と顔を合わせない生活をしています。

夫のもとに戻れば、表面的には安定するかもしれない。

でもそれは、また「透明な自分」に戻るということでもある。

私は、私の想いで選び、私の言葉で決め、私の責任で生きていける人生を歩みたい。

たとえ不安定でも、誰かに支配された安定より、私は自分の人生を選びたい。

まとめ

「決定権のない生活」は、自分を見失っていく生活でした。

だからこそ、これからの私は「自分の意見を持つこと」をやめない。

たとえそれが小さな一歩でも、「ここが私の居場所だ」と思える場所を、自分の手で作っていきたいと思っています。

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