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【第7章|心の距離と小さな決意】夫に期待しないことを決めた日

――「もう、期待するのはやめよう」

その決意は、悲しみでも怒りでもなく、静かな諦めから生まれました。

私はずっと、夫に「気づいてほしい」「わかってほしい」と願ってきました。

私が我慢していること。傷ついていること。

それを言葉にするたび、「そんなつもりじゃない」「被害妄想だ」と返されてきた日々。

最初は、「言い方が悪かったのかもしれない」と自分を責めました。

それでも、何度も、何度も、丁寧に伝えようと努力してきました。

でも返ってくるのは、無関心か、反論か、あるいは皮肉。

目次

「普通」が通じない苦しさ

「大丈夫?」って、どうして言ってくれないの?

「ありがとう」や「ごめんね」を、どうしてそんなに惜しむの?

子どもが熱を出して不安だった夜も、私が体調を崩した日も、

夫の口からは、一度も労りの言葉は出てきませんでした。

「言葉がきついから、やめてほしい」と伝えたこともあります。

でも返ってきたのは、「昔からこうだから直せない」という言葉。

「寂しい。少し話がしたい」と言えば、

「1人の時間が欲しい」と言って、夫はそのほとんどをゲームに費やしていました。

さらに、大事な話をしようとしても、「それはおかしい」「言葉が間違っている」と話の内容ではなく言葉尻を責められ、

「否定せずに、まずは最後まで聞いてほしい」と伝えても、

「その言い方が気になる」と言って直そうとせず、結局、話の本題にはたどり着けない。

聞いてほしいだけなのに、話をちゃんと聞いてくれない――

そんなやりとりに、何度も心が折れそうになりました。

私が変わるしかなかった

あるとき、ふと気づいたのです。

私が夫に「こうあってほしい」と思うたびに、私は傷ついている。

期待すればするほど、心がすり減っていく。

だから私は、期待するのをやめようと思いました。

「察してほしい」と願うのをやめる。

「きっと気づいてくれるはず」と信じるのをやめる。

「変わってくれるかも」と待つのをやめる。

それは、あきらめではなく、自分を守る選択でした。

期待を手放したら、少しだけ楽になった

もちろん、期待しないことは簡単じゃありません。

無意識に「こうしてくれるかも」と思ってしまう自分もいます。

でも、そんなときは自分に言い聞かせます。

「彼は変わらない。それが彼なんだ」と。

すると、不思議と心が落ち着いてきます。

過剰に期待して傷つくことも、振り回されることも少なくなりました。

そして今は、夫よりも、自分自身の気持ちに目を向けるようにしています。

何が嬉しいのか。何が嫌なのか。どんな言葉をかけられたら安心するのか。

誰かに求めるのではなく、自分の心に寄り添うこと。

それが、私にできる一番のケアだと気づきました。

最後に

「期待しない」と決めたことは、私にとって大きな一歩でした。

それは、夫を見捨てることでも、諦めることでもありません。

ただ、自分の心を守るために、必要な境界線でした。

もし、今、誰かにわかってほしくて苦しんでいる人がいたら。

その苦しみの中に、少しでも「自分のために生きる」選択があることを、思い出してほしいです。

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