「もしかして、これってモラハラ?」
そう思い始めたのは、結婚してしばらくしてからのことでした。
表面上は穏やかで理屈っぽく、正論を好む夫。でもその言葉の裏に、私はいつも責められているような、否定されているような気持ちを抱えていました。
この記事では、「これって普通なのかな?」「私が弱いだけなのかな?」と自問し続けた私の夫の言動を、冷静に整理してみようと思います。もしかすると、同じように苦しんでいる方のヒントになるかもしれません。
1. 正論で責める
夫は「アドバイス」や「将来を案じている」という建前で、私の言動に口を出してきました。
けれどその実態は、「なんでそんなこともできないんだ」「君は間違っていることが多い」というような、人格を否定するような暴言にまで発展することも少なくありませんでした。
正論のように見えても、それが人を萎縮させ、自信を失わせるものであれば、それはただの“支配”なのかもしれません。
2. 自分の言動を軽く扱う
私が「怖かった」「傷ついた」と伝えると、彼は「そんなつもりはなかった」「俺の中ではアドバイスのつもりだった」と答えます。
けれど、実際に投げつけられた言葉は、怒りや苛立ちに満ちた暴言でした。
彼はよく「自分が想像していたことを伝えただけ」と言います。でも、想像の範囲を超えて、人を傷つけるほどの言葉を投げていた自覚がないこと自体が、非常に問題だと思うのです。
3. 矛盾しているメッセージで混乱させる
「信じている」と言いながら、「でも未来は案じていた」とも言う。
この二つの言葉を並べられると、私は混乱してしまいます。
信じている人に対して、なぜそんなに疑いの言葉を向け続けたのか。
「信じていたつもりだった」だけで、本当は信じていなかったのではないか――そう思うと、どうしても心の奥が痛むのです。
4. 謝罪しても、根本が変わらない
何度も謝罪の言葉はもらいました。丁寧で、反省しているような言葉も受け取りました。
でも、私が欲しかったのは言葉ではなく、過去の理解と、未来の行動でした。
「つもりだった」「ごめんね」だけでは、信頼は回復しません。
私が怖がっていたこと、その原因を本人が正確に理解していなければ、また同じことが繰り返される。
だから、私の中の“恐れ”は、まだ消えないままです。
終わりに
「モラハラ」という言葉を使うのは、正直、勇気がいります。
けれど、私の中でこれは明らかに「心を壊す関わり方」でした。
夫を一方的に悪者にしたいわけではありません。
でも、「愛情」や「アドバイス」という言葉にすり替えられながら、私は長い間、自分を否定され続けていたという現実には、ちゃんと名前をつけてあげたかった。
今ようやく、私はそれを「モラハラかもしれない」と言葉にできるようになりました。
同じように悩んでいる誰かの、心の整理の一助になればと思います。
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