言葉を封じられた日々の中で
─ 夫に自分の思いを伝えることを諦めた理由
夫との生活の中で、私は自分の気持ちを話すことを、いつしかやめていました。
話せば否定される。伝えようとすれば、「そんなのおかしい」「何が言いたいの?」と突き放される。
だんだんと、私の言葉は飲み込まれていきました。
「話しても無駄だ」
「伝えたところで、また傷つくだけだ」
そう思うようになってから、私は本当の気持ちを口にしなくなっていきました。
でも、感じないふりをしても、心の中にはたくさんの思いが積もっていく。
悲しかったこと、悔しかったこと、寂しかったこと。
それをどこにも出せずにいると、心の中に黒いかたまりがどんどん溜まっていくようで、息が詰まりそうでした。
ノートだけが、私の逃げ場だった
─ ペンを握ることで守った心の居場所
そんな私が、唯一、素直になれた場所――それが「ノート」でした。
毎晩、ペンを持ってノートを開き、言葉を吐き出す。
「今日はこんなことを言われて、つらかった」
「また言い返せなかった。悔しい」
「本当は、あのとき泣きたかった」
ページが進むたびに、私の心の中のもやもやが少しずつ外に出ていきました。
最初はただの「発散」でした。
でも続けていくうちに、自分の気持ちが少しずつ見えてきたのです。
「あのとき傷ついたのは当然だった」
「私がおかしいんじゃない。あの言い方がひどかったんだ」
書くことで、自分の感情を整理し、認めることができるようになっていきました。
書くことで、私は自分を保っていた─ 感情を閉じ込めずに吐き出すということ
ノートに書き出すことで、私は自分の心を守っていたのかもしれません。
誰にも見せない小さな世界だけれど、そこには私の本音がありました。
それがなかったら、私はもっと早く壊れていたかもしれません。
心療内科に通うよりも前、薬を飲むよりも前。
ノートは、私にとって最初の「自己回復の手段」だったのです。
今でも、ときどきノートを読み返すことがあります。
当時の自分の文字に、手の震えがにじんでいたり、涙でにじんだ跡が残っていたりするページもあります。
でもそれは、あのとき確かに私は「感じていた」証拠であり、
黙って耐えるだけじゃなく、必死で自分を守ろうとしていた足跡なのです。
「よく頑張ってきたね」と、自分に言える今
─ 過去の自分と今の自分をつなぐノートの力
今でも、私は毎日ノートを書いています。
心療内科に通う今も、書くことは変わらず、私にとって大事な習慣です。
昔のノートを読み返してから、今のページをめくると、
心が少しずつ健やかになっていることを感じられます。
あんなに苦しかった私が、今はちゃんと眠れて、食べられて、
少しずつでも「私として」生きていけている。
それが、文字のひとつひとつから伝わってくるのです。
「ここまでよく頑張ってきたね」
そのたびに、私は自分にそう声をかけたくなります。
誰に認められなくても、自分だけは、自分の味方でいたい――
ノートの中の私は、いつもそう願って、今日もまた、ページをめくります。
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