―― 私は、ただ話を聞いてほしかっただけだった。
目次
「間違ってる」から始まる会話
「間違ってる、それはこういうことなんだよ」
「理解できていない」
「俺の立場になって考えてみたことある?」
何か話そうとすると、すぐに“正しさ”で返される。
でもその”正しさ”は夫にとってのもので、私の気持ちとは違っていた。
私はただ、自分の気持ちを伝えたかっただけなのに、
返ってくるのは、上から目線の説明と、長々と続く説教。
感情さえも「訂正」される日々
「つらかった」と言えば、「どうしてそう思うの?」
「それはおかしいんじゃない?」と、
私の感情そのものを、ひとつひとつ否定されていく。
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まるで、感情の発言に「正解」を求められているみたいだった。
でも、感情に正しさなんてないはずなのに。
私は、ただ「わかってほしい」と思っていただけなのに。
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会話ではなく「指導」だった
夫とのやりとりは“話し合い”ではなく、“指導”だった。
私の言葉は、聞き入れてもらうものではなく、
訂正され、諭され、矯正される対象だった。
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それでも、私は一生懸命に言葉を探していた。
傷ついたこと、わかってほしかったこと。
「ねえ、話を聞いて」って伝えたくて、
勇気を出して口を開いていた。
正論は、人を黙らせる
だけど、返ってくるのはいつも“正論”だった。
正論は、時に人を黙らせる。
本当の思いを伝える勇気を、奪ってしまう。
私は生徒じゃない
私は夫の生徒じゃない。
教えを受ける存在じゃない。
それでも、毎日のように続く説教の中で、
私はどんどん“対等”ではいられなくなっていった。
話すことが、怖くなっていった
「説教の時間が始まるかもしれない」
そう思うと、話すこと自体が怖くなっていった。
私の言葉は、いつも最後には否定される。
そんな予感に、心がすり減っていった。
わかってほしかっただけなのに
ほんとうは、ただ、
「それはつらかったね」
「そう感じたんだね」
そんなふうに寄り添ってくれるだけでよかったのに。
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