「俺は、君を大事にしてたつもりだった」
「 言わなかったら君が損すると思って伝えてた。
それが愛情だと思ってた。」
夫は何度もそう言ってきた。
彼の中では、「良かれと思って」「君のために」「損しないように」――
そういった“合理的な思いやり”が愛情だと信じて疑わなかった。
でも、それは彼にとって都合のいい愛情だった。
私は、違う愛情を知っていた
私が知っていた「愛情」は、
命令でもコントロールでもなく、
「相手の心を大切にすること」だった。
言い方を選ぶこと。
相手の尊厳を守ること。
沈黙の中にも安心が流れるように寄り添うこと。
「愛してるから、怒鳴った」
「お前のためを思って、制限した」
それは違う。
それは**“愛に見せかけた支配”**だと、私は気づいていた。
私は、愛情の意味を“説明”し続けた
「それは私のためじゃなくて、あなたの不安を解消したかっただけじゃない?」
「私が困る姿を見たくなかったんじゃなくて、“自分が困るのが嫌だった”んじゃない?」
そう言っても、夫にはなかなか伝わらなかった。
でも私は、諦めなかった。
何度も、繰り返し、心が壊れながらも伝え続けた。
「本当の愛情って、
相手を思い通りにすることじゃなくて、
相手の意思を信じることだよ」
彼は変わったのか?まだ、わからない
夫は今、ようやく「自分のやってきたことは違ったかもしれない」と言い始めた。
それは、大きな一歩。
でも、それは“理解”ではなく“反省”の段階だと思う。
愛情は、知識ではない。
態度で伝えるものだから。
私は、自分の感覚を信じてよかった
私の感じていた「おかしい」が間違っていなかったこと。
私が知っている「愛情」が、ちゃんと“本物”だったこと。
それを、私は、自分の言葉で夫に伝え続けてきた。
もしかしたらそれは、
彼にとって「本来の愛情」に初めて触れた瞬間だったのかもしれない。
✧ 最後に
どんなに「愛してる」と言われても、
それが「傷つけて当然」の免罪符になるなら、
それは愛ではありません。
私は、自分が信じる愛を教えた。
でも、それを受け取るかどうかは、彼の問題です。
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