MENU

【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】言葉を使うことが怖くなった

― 「話す」ことに、自信が持てなくなった私へ

目次

抑え込まれた言葉たち

夫との暮らしの中で、私は少しずつ「話すこと」に自信を失っていきました。

日々の会話の中で、何を言っても論理で返される。

感情を伝えようとしても、「それは違う」「論点がずれてる」と押し返される。

話せば話すほど、自分の考えや感情が“おかしいもの”に思えて、私はどんどん口を閉ざすようになりました。

私の話は面白くない?

ほとんど子どもとしか会話しない日々。

たまに大人と話す機会があっても、「私の話はきっと面白くない」「長く話したら嫌がられるかも」と不安でたまらなかった。

一生懸命に話を聞いてくれる人が現れたときでさえ、「どうしてこの人は、私なんかの話を聞いてくれるんだろう」と不思議で、居心地が悪かった。

言葉が出てこない。怖い。

言葉を紡ごうとすると、頭の中で誰かの声が響く。

「その言い方は間違ってる」

「ちゃんと論理的に話して」

「そんな感情論は通用しない」

その“誰かの声”が怖くて、話したいことがうまく言葉にできない。

会話の中で黙ってしまう自分に、自己嫌悪を感じる。

でも、それ以上に「否定されること」が怖かった。

抑圧された世界で失った時間

私は、何年もの間、自分の感情に蓋をして暮らしてきました。

夫と過ごす中で、私は自分自身の気持ちの出口を閉ざし、感情を殺してきた。

言葉を持てない私になっていった。

自分を守るために言葉を飲み込み、ただ日々をやり過ごす。

その繰り返しの中で、私は自分自身を見失っていったのです。

私の時間は、奪われていた

今振り返ると、あの時間はとても貴重な私の人生の一部でした。

本来なら、もっと自由に、もっと自分らしく過ごせていたはずの時間。

それを抑圧の中で過ごさざるを得なかったことに、私は深い悲しみと悔しさを感じています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次