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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】外で人と話すことが怖くなった

―「普通の会話」が、できなくなっていく感覚

目次

人と会うのが、なぜこんなに怖いのだろう?

以前の私は、人と会って話すのが好きでした。

挨拶をして、笑い合って、何気ない会話を楽しんで。

そんな時間が、ささやかな癒しだったのに。

ある時から、それがだんだん苦しくなっていきました。

誰かに話しかけられるだけで、心臓がドキドキする。

声がうまく出せない、言葉が浮かばない。

「変だと思われないかな」「気を使わせてないかな」

そんな思いが、頭の中をぐるぐる巡って、言葉が出てこない。

それが、とても怖かったのです。

家の中で繰り返されていた“会話の失敗”

思い返せば、家の中での「会話」がいつも怖かった。

夫の前では、言葉を選ばなければならなかった。

正確に、誤解されないように、余計なことを言わないように。

何度も責められた経験が、私の中で「言葉=怖いもの」に変わっていった。

間違った言い方をしたら、怒られる。

思っていることを言っても、「そういうことじゃない」と否定される。

それが続いた結果、「黙っているのが一番安全」という結論にたどり着いてしまったのです。

外でも、言葉が出てこなくなった

家の中で話せなくなった私は、外でも同じように萎縮していきました。

ママ友との立ち話、スーパーのレジでの一言、PTAの会話。

どれもごく普通のやりとりなのに、言葉が出ない。

笑顔がうまく作れない。

そして帰り道に、何度も自分の言動を思い出して落ち込む。

「変なふうに見えたかもしれない」

「ちゃんと話せてなかった」

そんなふうに、自分を責めるクセがついてしまっていました。

「会話」は、信頼の上に成り立つものだった

最近、気づいたことがあります。

人と自然に話せるということは、その相手を「信頼できている」証なんだということ。

夫との会話で、私が「何を言っても無駄」と思い始めたころから、

私は少しずつ、自分の言葉を信じられなくなっていった。

そして、他人の前でも同じように自信を失っていった。

少しずつ、自分を取り戻したい

今でも人と話すのは怖い。

でも、少しずつでも「自分の言葉」を取り戻したいと思っています。

誰かに否定されても、それが私の本音なら、大切にしてあげたい。

失敗しても、どもっても、それでも「話してみよう」と思える自分でいたい。

人との会話を、もう一度温かいものとして感じられる日が来るように。

まずは、自分自身とちゃんと話していこうと思っています。

まとめ

「外で話すのが怖い」という感情の裏には、

「安心して話せなかった日々」の積み重ねがありました。

心の中で誰かに何度も否定されると、自分の言葉に自信が持てなくなる。

でも、それに気づいた今、もう一度言葉の力を信じてみたいと思います。

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