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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】「正しさ」の奥に隠れていたもの ── 夫の理論がずっと無茶に思えた理由

「それは違う」「そういう考え方はおかしい」

夫はよく、私の話にそう返してきた。

最初のうちは「自分の考えが未熟なのかな」と思っていたけれど、やがて、違和感の方が強くなっていった。

夫の言うことは、表面的には「正論」に聞こえる。

でも、なぜか私はずっと息苦しかった。

そして最近、ようやく気づいた。

夫が語っていた「正しさ」は、2人が一緒に楽しく生きていくためのものではなかったのだ、と。

目次

自分だけの完璧な世界

夫は、自分の考えやルールを壊されたくなかったんだと思う。

自分が心地よくいられる世界、思い通りに物事が動く世界。

そこに私が違う意見を持ち込むと、彼にとっては「秩序が乱されること」だった。

だから、私の感情も、違う価値観も、「正しくない」と処理された。

正しくないのではない。ただ、彼の世界には“不要”だったのだ。

一緒に生きる、という前提がなかったのかもしれない

夫が守ろうとしていたのは、「私たち」ではなく、「自分の世界」だった。

その世界では、彼が主人公であり、彼がルールを決める。

私は、そこに従っていればよかったのかもしれない。

でも私は、「2人で一緒に生きる」という前提でいた。

だからぶつかって、すれ違って、理解されないことが増えていった。

正しさよりも、大切だったもの

正論は、人を傷つけることがある。

とくにそこに「対話」や「思いやり」がないとき。

今思えば、私が欲しかったのは「正しさ」ではなく、「私の気持ちを受け止めようとする姿勢」だった。

理解してもらえなくても、少しでも寄り添おうとしてくれたら、私はもう少し違う形で頑張れたかもしれない。

読者への問いかけ

あなたのパートナーが語る「正しさ」は、

誰のためのものですか?

あなたの心を守ってくれるものでしょうか?

それとも、あなたを黙らせるためのものになってはいませんか?

「正しさ」に惑わされず、自分の中の違和感に気づいて

「正しさ」に苦しくなるとき、その言葉の奥にある“目的”を見てみると、自分の中の違和感の理由が見えてくるかもしれません。

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