「それは違う」「そういう考え方はおかしい」
夫はよく、私の話にそう返してきた。
最初のうちは「自分の考えが未熟なのかな」と思っていたけれど、やがて、違和感の方が強くなっていった。
夫の言うことは、表面的には「正論」に聞こえる。
でも、なぜか私はずっと息苦しかった。
そして最近、ようやく気づいた。
夫が語っていた「正しさ」は、2人が一緒に楽しく生きていくためのものではなかったのだ、と。
自分だけの完璧な世界
夫は、家事・育児・家庭での過ごし方・お出かけ――
とにかく家庭のあらゆることに口を出した。
相談のつもりで話しかければ「それはおかしい」。
家事をすれば「なんでこんなやり方をするんだ」と、自分のルールを押し付けてくる。
話しかければ、「鬱陶しい」と言われて、ゲームの世界に夢中だった。
最初の頃は、なぜこんなことを言うのかわからなかった。
私は2人で家庭を作っていくつもりで考えていたからだ。
しかし、今ならわかる。
夫は”自分の考える世界”を崩したくなった。
だからきっと、自分の考えやルールを壊されたくなかったんだと思う。
自分が心地よくいられる世界、思い通りに物事が動く世界。
そこに持ち込んだ私の感情、価値観は邪魔でしかなかった。
“正しくない”のではなく、彼にとっては”不要”だった。
一緒に生きる、という前提がなかったのかもしれない
夫が守ろうとしていたのは、「私たち」ではなく、「自分の世界」だった。
その世界では、彼が主人公であり、彼がルールを決める。
私は、そこに従っていればよかったのかもしれない。
でも私は、「2人で一緒に生きる」という前提でいた。
夫婦2人の関係は対等でいて、お互いを譲歩したりしながら生きていくと思っていた。
でも夫はそうではなかった。
夫婦なのに夫は「自分の世界」を崩すつもりがなかったんだ。
それなのに私は2人は対等だから、”話していればきっとわかってくれる”そう信じていた。
私の”夫を信じる気持ち”は何の意味も持たなかったことを知ったとき、唖然とした。
その事実を知るまでに、たくさんの時間を費やし、私自身をすり減らしてきた。
こうして、夫のことを信じることができない私が作られてしまったんだ。
正しさよりも、大切だったもの
正論は、人を傷つけることがある。
とくにそこに「対話」や「思いやり」がないとき。
今思えば、私が欲しかったのは「正しさ」ではなく、「私の気持ちを受け止めようとする姿勢」だった。
理解してもらえなくても、少しでも寄り添おうとしてくれたら、私はもう少し違う形で頑張れたかもしれない。
しかしながら、夫は初めから、相手の気持ちに寄り添おうなんて気持ちはみじんもなかったのだ。
私のことを上から見下すように見ていて、「どうやって間違いを正してあげようか」
そんな風に思っていたのだろう。
「正しさ」に惑わされず、自分の中の違和感に気づいて
あなたのパートナーは、「正しさ」を押し付けていないだろうか?
もし間違いを指摘されているようであれば、あなたのパートナーが語る「正しさ」は、誰のためのものですか?
あなたの心を守ってくれるものでしょうか?
それとも、あなたを黙らせるためのものになってはいませんか?
「正しさ」に苦しくなるとき、その言葉の奥にある“目的”を見てみると、自分の中の違和感の理由が見えてくるかもしれません。
どうか、その違和感から目を背けないで。
「なんだかわからないけれど、自分が悪いのかもしれない」と思っていたら要注意。
そんな「なんだかわからない」ことを理由に、自分を悪者にしないで。
納得できないことは、受け入れない。相手の「正しさ」に飲み込まれない覚悟を持ってほしい---
そう思っています。
次回予告
「モラハラかもしれない。我が夫の特徴」
我が夫の、気になる特徴についてまとめました。
自分のパートナーも、もしかしたらモラハラかも…?と心当たりのある方にとって、気づきのきっかけになるかもしれません。
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