「それは違う」「そういう考え方はおかしい」
夫はよく、私の話にそう返してきた。
最初のうちは「自分の考えが未熟なのかな」と思っていたけれど、やがて、違和感の方が強くなっていった。
夫の言うことは、表面的には「正論」に聞こえる。
でも、なぜか私はずっと息苦しかった。
そして最近、ようやく気づいた。
夫が語っていた「正しさ」は、2人が一緒に楽しく生きていくためのものではなかったのだ、と。
自分だけの完璧な世界
夫は、自分の考えやルールを壊されたくなかったんだと思う。
自分が心地よくいられる世界、思い通りに物事が動く世界。
そこに私が違う意見を持ち込むと、彼にとっては「秩序が乱されること」だった。
だから、私の感情も、違う価値観も、「正しくない」と処理された。
正しくないのではない。ただ、彼の世界には“不要”だったのだ。
一緒に生きる、という前提がなかったのかもしれない
夫が守ろうとしていたのは、「私たち」ではなく、「自分の世界」だった。
その世界では、彼が主人公であり、彼がルールを決める。
私は、そこに従っていればよかったのかもしれない。
でも私は、「2人で一緒に生きる」という前提でいた。
だからぶつかって、すれ違って、理解されないことが増えていった。
正しさよりも、大切だったもの
正論は、人を傷つけることがある。
とくにそこに「対話」や「思いやり」がないとき。
今思えば、私が欲しかったのは「正しさ」ではなく、「私の気持ちを受け止めようとする姿勢」だった。
理解してもらえなくても、少しでも寄り添おうとしてくれたら、私はもう少し違う形で頑張れたかもしれない。
読者への問いかけ
あなたのパートナーが語る「正しさ」は、
誰のためのものですか?
あなたの心を守ってくれるものでしょうか?
それとも、あなたを黙らせるためのものになってはいませんか?
「正しさ」に惑わされず、自分の中の違和感に気づいて
「正しさ」に苦しくなるとき、その言葉の奥にある“目的”を見てみると、自分の中の違和感の理由が見えてくるかもしれません。
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