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【第7章|心の距離と小さな決意】話しかけるタイミングすら、読んでいた日々

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話しかけることが不安

お願いしたいことがある。

でも、断られるかもしれない。

どうやって言えば、聞いてもらえるかな。

どんなタイミングなら、機嫌を損ねずに済むかな。

「今、ゲームしてるから機嫌がいいかも」

「今なら、ちゃんと反応してくれるかもしれない」

そんなふうに、私はいつも“彼の心の天気”を読んでいました。

ほんの少しでも言葉を交わすために、

何度も何度もタイミングをはかり、

頭の中でシミュレーションして、

それでもうまくいかないときは、自分を責めるしかありませんでした。

うまく話しかけられた日の、あの安堵感

機嫌を損ねずに話ができたとき。

反射的に怒られたり、冷たくされたりせず、ちゃんと答えてもらえたとき。

それだけで、私はほっとしていました。

「ああ、よかった」と胸をなでおろす瞬間。

普通の会話ができた、それだけのことなのに、心の奥まで安堵が染み渡っていきました。

そのたびに私は、「まだ大丈夫かもしれない」と自分を納得させていました。

次も、うまくやれば話せるかもしれない。

そう信じて、また顔色を読む日々が続いていったのです。

無視された日、怒られた日

でも、そんなふうにうまくいく日は、そう多くはありませんでした。

「今、話しかけないで」

「……(無言)」

少しでもタイミングがずれると、ピシャリと冷たい反応が返ってきました。

まるで、自分が“うっとおしい存在”であるかのような扱い。

話しかけた自分が悪かったのかもしれないと、

自分を責めるのがいつものパターンになっていました。

声をかけるだけで、消耗していた

話しかけるだけなのに、こんなにも疲れるなんて、あの頃は気づいていませんでした。

「お願いがある」と言うために、心の中で何度もリハーサルをして、

タイミングを待って、空気を読んで、それでも失敗する。

そのたびに、私は少しずつ、自分の中の“言葉”をしまい込んでいきました。

次第に、「どうせまたダメだろうな」と思うようになり、

お願いすることも、話すことも、やめていったのです。

私の存在は、相手の機嫌次第だった

一緒に暮らしているのに、話しかけられるかどうかが相手の“気分”によって決まる。

何気ない会話ですら、こんなにも神経をすり減らすものなのかと、今ならわかります。

あのときの私は、まるで“いつ怒り出すかわからない人と同じ空間にいる子ども”のようでした。

心からくつろげることなんて、一度もなかったのかもしれません。

今は、怖がらずに話せる関係を望んでいる

今の私は、会話に怯えずにいられる関係を望んでいます。

お願いごとをするときに、タイミングを探らなくてもいい。

「今いいかな?」と自然に聞ける関係が、どれほど大切かを痛感しています。

話しかけるだけで疲弊していた自分に、やっと「それはおかしかったんだよ」と思えるようになりました。

夫に対しては、まだ安心して話かけられる状態ではありません。

いつかそんな日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

だから今は、夫との間にしっかりと境界を引いて、私の心がこれ以上傷つかないように生活しています。

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