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「はっきり言わない」って、優しさなの?
たとえば私が悩んでいるとき、彼はこう言う。
「知花のやりたいようにしていいと思うよ」
でもその直後には、こう続く。
「でも、それってちゃんと先を考えてる?」
「本当にそれでうまくいくのかな…?」
応援しているようで、どこか疑っている。
否定していないようで、実は反対している。
そんな“遠回し”が、私にはものすごく冷たく感じられた。
やりたいことではなく、彼の“正解”を探す日々
何がしたいのか。何を考えているのか。
それを素直に伝えても、夫はすぐにデメリットを並べた。
私の頭の中は次第にこう変わっていった。
「どうしたら否定されずに済むかな」
「今の返事って、イエス?ノー?…どっち?」
彼の“気を遣った、正解のない返事”を解読し続ける日々に、
私はだんだんと心がぐったりしてしまった。
私は「わからない」ことに傷ついていた
嘘をつかれているわけじゃない。
怒鳴られているわけでもない。
でも、“わからない”ことって、こんなにも孤独なんだ。
彼の言葉の裏ばかり読む私は、自分を責めるようになった。
「きっと私が考えすぎなんだ」
「私の受け取り方が歪んでるだけかも」
けれど――
違った。
今でも、言葉の奥を探してしまう
今でも私は、人の言葉をそのまま信じるのが怖い。
「本当はどう思ってるの?」「裏があるんじゃないか?」
そんな疑いのフィルターをかけてしまう。
でも、これは私が悪いんじゃない。
言葉で信じられなかった日々が、私の心をそうさせた。
だから今は、少しずつ自分の感覚を信じたい。
「わからない」と感じたら、それを無理にポジティブに解釈せず、
ちゃんと違和感として、大切にしたい。
どうか、「まっすぐな言葉」で話せる関係を
私が望むのは、対等な対話。
まっすぐな言葉で、まっすぐに向き合える関係。
そこからしか、信頼は育たないから。
もう、ごまかしのない言葉に包まれて、生きていきたい。
そう思えるようになった今の私に、少しほっとしている。
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