わかってほしいだけだったのに
泣いたこともありました。
怒ったこともありました。
冷静に話そうと努力したことも、何度もありました。
でも、どんな形で気持ちを伝えても、返ってくるのは意外なほど淡々とした反応でした。
「間違ってる」
「過去のことを引きずられても、どうしようもできない」
私の感情は、いつも“上書き”されていったのです。
まるで、私の感じた痛みや悲しみは「なかったこと」にされるように。
感情を否定される苦しさ
人に気持ちを伝えるのは、勇気がいることです。
それでも言葉にして、やっとの思いで打ち明けたのに――
「弱すぎる」
「俺だったら、大丈夫」
気づけば、私が悪者になっていました。
感情を伝えたはずなのに、話の主語がすり替わり、私の“想い”は消えていく。
私は、また黙るしかありませんでした。
なぜ伝わらなかったの?
どうして伝わらなかったのか。
本当に、私の伝え方が悪かったのでしょうか。
泣きながら気持ちをぶつけた夜も、
怒りを抑えきれず声を荒げた日も、
どれも、心の底から「わかってほしい」と願っていたからこそでした。
だけど、夫はその感情の奥にある「本当の声」には耳を傾けてくれませんでした。
見ていたのは、私の涙でも怒りでもなく、「反応」だけだった気がします。
上書きされた気持ちの積み重ね
「俺だったら、そんなことで傷つかない」
「豆腐メンタル」
そうやって、一つひとつの感情が否定され、書き換えられていく。
私は自分の気持ちを信じられなくなっていきました。
「私が変なのかな」
「こんなことで悲しむ私が間違ってるのかも」
その積み重ねが、私の心を静かに壊していったのです。
もう、感情を押し込めない
今でも時々、自分の気持ちに自信が持てなくなることがあります。
でも、ようやく少しずつ気づけるようになってきました。
私は、ちゃんと感じていた。
泣いて当然だったし、怒ってもよかった。
あのときの感情は、本物だった。
誰かに「わかってるよ」と言ってほしかっただけ。
ただ、自分の気持ちに寄り添ってくれる人がほしかっただけなんです。
泣いても怒っても届かなかったあの時間も、私の大切な一部。
それをなかったことにせず、大事に抱えて、これからの人生に繋げていきたい。
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