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【第3章|産後の孤独と自己否定】ただのわがままと切り捨てられた、私の本音

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「無理」と言っただけなのに、否定された

義父はとても子どもに会いたがる人で、頻繁に連絡が来る。

それ自体はありがたいと思っていたけれど、子育てや家事でヘトヘトな日もある。

夫に「会うのがきつい。今月はちょっと会うことをやめたい」と伝えたとき、返ってきたのは──

「なんでそうなるんだ」

事情を説明しても、疲れていると言っても、

「会いたい」という義父の気持ちのほうが、いつも優先された。

結局、押し切られるように会うことになり、私の「無理」はなかったことにされた。

「子育てがきつい」と言えば、「俺のほうがきつい」と返ってきた

夫に「最近ちょっときつい」と打ち明けたことがある。

夜泣き、寝不足、家事と上の子の世話。どこにも息抜きの時間がない毎日。

でも、返ってきたのは、

「俺の方がきついよ」

その瞬間、何も言えなくなった。

そうか、私のしんどさなんて、比べられて否定される程度のことなんだって。

私は、わがままなんだろうか。

不安を伝えても、共感ではなく「否定」が返ってくる

下の子を連れての幼稚園の送り迎えが不安だと伝えたときもそうだった。

ベビーカーを押しながら、上の子の準備もして、バタバタと朝を過ごす毎日。

事故やトラブルが心配で、正直、気が重い。

そんな気持ちを伝えたら、夫の返事は──

「子どもの成長を喜べないなんて、どうかしてる」

私はただ、「不安だ」と言いたかっただけなのに。

喜びを感じられないわけじゃない。

けれど、不安な感情があることすら、否定された。

苦しみは、ただの“わがまま”なんかじゃない

泣きたいのに、泣けない。

助けてほしいのに、声を上げるたびに「甘え」や「わがまま」と言われて、

やがて私は、何も言わなくなった。

でも、思うんです。

本当に“わがまま”だったのかな?

義父の要望を一度断っただけで、責められるのはわがまま?

育児の大変さを口にしただけで、競争されるのは当然?

不安を感じる気持ちを言っただけで、非難されるべき?

違う。

それは、私の正直な気持ちだった。

おわりに|「わがまま」と言われたとき、傷ついたあなたへ

「それって甘えてるだけじゃない?」

「もう少し頑張ってみたら?」

「気の持ちようだよ」

そう言われて、心が折れそうになった経験、ありませんか。

誰かにとって“たいしたことない”ことでも、

自分にとっては“耐えられないほど重いこと”って、あります。

その苦しみを「わがまま」と切り捨てられたとき、

人は自分の感情すら信じられなくなってしまうんです。

だから私は、あのときの自分にこう伝えたい。

「あなたの感じたことは、ちゃんと意味がある。

苦しいと感じたなら、それは本当に苦しかったんだよ。」

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