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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】人の幸せを心から喜べなくなった

―置き去りにされた気持ちの奥で

目次

昔は、友だちの幸せが嬉しかった

結婚の報告、出産の知らせ、旅行の写真。

以前の私なら、「よかったね!」と心から言えた。

大切な人の幸せは、自分のことのように嬉しかった。

でもいつからだろう。

その気持ちが薄れてしまったのは。

嬉しいはずなのに、胸がざわつく

SNSで誰かの笑顔を見かけると、

おめでとうの言葉より先に、心にざわつきが広がる。

「あの人は、ちゃんと愛されてるんだな」

「私には、なかった時間だ」

「どうして私は、ここにいるんだろう」

こんな気持ち、持ちたくなかった。

なのに、心の奥からじわじわと湧き上がってくる。

置いていかれたような孤独感

日々の中で、私はずっと「戦って」きた。

言葉を飲み込んで、感情を我慢して、

傷ついても、誰にも言えなかった。

そんな自分と、人の穏やかな日常や優しい関係を比べてしまう。

「どうして私は、あんなふうに愛されなかったんだろう」

「私に足りないものがあったのかな」

気づけば、自己否定の渦に飲み込まれていく。

「喜べない私」は冷たい人間なの?

本当は、誰かを羨ましいと思うたびに、胸が痛む。

こんなふうに感じたくない。

素直に「よかったね」と言いたいのに。

でも、心が壊れてしまうような日々を過ごしてきた私は、

「嬉しい」を素直に感じる余裕すら、なくなってしまっていた。

それは、冷たいのでも意地悪でもなく、

ただ「もうこれ以上、傷つきたくない」という防衛反応だったんだと思う。

少しずつ、癒やしていくしかない

心から人の幸せを喜べる日が、また来るように。

私はまず、自分の心を癒してあげたい。

比べなくていい、焦らなくていい。

今は、立ち止まってもいい。

「私だって、しあわせになっていい」

そう思えるようになるまで、少しずつ、少しずつ進んでいきたい。

最後に

他人の幸せを素直に喜べないのは、

「自分の人生が満たされていない」という心からのサイン。

その感情にフタをしないで。

自分を責めないで。

まずは、自分の小さな幸せを見つけてあげて

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