― 助けを求めることすら、許されなかったあの頃
弱音を吐けない関係
「しんどい」「つらい」
そんな言葉を口にしたことが、何度あったでしょうか。
でも、そのたびに返ってきたのは「甘えるな」「俺の方が大変」
その言葉に、私の気持ちは踏みつけられたように感じていました。
私はただ、話を聞いてほしかっただけ。
わかってほしかっただけなのに。
頑張るのが当たり前の空気
夫の中では、「頑張る」のが当然で、
感情よりも理屈、効率、結果が優先されていました。
慣れない土地で話す人がいない寂しさ、頼る人が夫しかいない環境での育児で身も心もボロボロだった。
私が疲れたと訴えると、「弱音を吐くな」
一見、冷静な提案に見えて、その裏にある「言い訳をするな」という突き放すような態度が、私を一層追い詰めました。
「助けて」と言ったときに、差し伸べられる手ではなく、距離を感じる言葉が返ってくる――
そんな日々の繰り返しに、私は次第に口を閉ざしていきました。
弱さを否定される孤独
人は誰だって、弱るときがある。
泣きたくなる夜も、立ち止まりたくなる瞬間もある。
でも、私は「弱さを見せる=悪いこと」だと刷り込まれていきました。
つらい気持ちを見せると、「もっと努力しろ」「だからお前はダメなんだ」
そんなふうに責められるような感覚が、私の中に染みついてしまったのです。
壊れていく心と体
赤ちゃんがいる生活の中で、睡眠時間も削られ、命を守らなくてはいけないプレッシャーを感じていました。
そんな生活の中で、
弱音を吐くことも許されない。
助けを求めることもできない。
そんな状態で、心も体も少しずつ壊れていきました。
朝起きるのが怖くなる日もありました。
息がしにくくなる夜もありました。
でも、そんな自分の苦しみすら、誰にも言えなかった。
「私は大丈夫」と、無理やり笑って、
「甘えたらいけない」と、自分を叱り続けて。
どこまでが“私”で、どこからが“演じている私”だったのか、
もう分からなくなっていた気がします。
優しさが欲しかっただけなのに
私は特別なことを求めていたわけではありません。
ただ、少しの共感と、優しさがほしかった。
つらいときに、「しんどかったね」と寄り添ってもらえるだけで、
どれほど救われたか、どれほど安心できたか。
でも、その小さな望みすら叶わない関係の中で、私は一人で闘い続けていたのだと思います。
「甘えるな」という言葉で、私は心の居場所を失った。
けれど、今の私は、ようやく気づけたのです。
弱さは、悪いことじゃない。
助けを求めることは、恥ずかしいことじゃない。
この先は、誰かに怯えずに、安心して言葉を紡いでいけるような人生を歩いていきたい。
そんな願いを込めて、私はこの記録を残します。
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