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【第2章|モラハラの実態と心の揺れ】弱さを見せたら「弱音を吐くな」と言われた

― 助けを求めることすら、許されなかったあの頃

目次

弱音を吐けない関係

「しんどい」「つらい」

そんな言葉を口にしたことが、何度あったでしょうか。

でも、そのたびに返ってきたのは「甘えるな」「俺の方が大変」

その言葉に、私の気持ちは踏みつけられたように感じていました。

私はただ、話を聞いてほしかっただけ。

わかってほしかっただけなのに。

頑張るのが当たり前の空気

夫の中では、「頑張る」のが当然で、

感情よりも理屈、効率、結果が優先されていました。

慣れない土地で話す人がいない寂しさ、頼る人が夫しかいない環境での育児で身も心もボロボロだった。

私が疲れたと訴えると、「弱音を吐くな」

一見、冷静な提案に見えて、その裏にある「言い訳をするな」という突き放すような態度が、私を一層追い詰めました。

「助けて」と言ったときに、差し伸べられる手ではなく、距離を感じる言葉が返ってくる――

そんな日々の繰り返しに、私は次第に口を閉ざしていきました。

弱さを否定される孤独

人は誰だって、弱るときがある。

泣きたくなる夜も、立ち止まりたくなる瞬間もある。

でも、私は「弱さを見せる=悪いこと」だと刷り込まれていきました。

つらい気持ちを見せると、「もっと努力しろ」「だからお前はダメなんだ」

そんなふうに責められるような感覚が、私の中に染みついてしまったのです。

壊れていく心と体

赤ちゃんがいる生活の中で、睡眠時間も削られ、命を守らなくてはいけないプレッシャーを感じていました。

そんな生活の中で、

弱音を吐くことも許されない。

助けを求めることもできない。

そんな状態で、心も体も少しずつ壊れていきました。

朝起きるのが怖くなる日もありました。

息がしにくくなる夜もありました。

でも、そんな自分の苦しみすら、誰にも言えなかった。

「私は大丈夫」と、無理やり笑って、

「甘えたらいけない」と、自分を叱り続けて。

どこまでが“私”で、どこからが“演じている私”だったのか、

もう分からなくなっていた気がします。

優しさが欲しかっただけなのに

私は特別なことを求めていたわけではありません。

ただ、少しの共感と、優しさがほしかった。

つらいときに、「しんどかったね」と寄り添ってもらえるだけで、

どれほど救われたか、どれほど安心できたか。

でも、その小さな望みすら叶わない関係の中で、私は一人で闘い続けていたのだと思います。

「甘えるな」という言葉で、私は心の居場所を失った。

けれど、今の私は、ようやく気づけたのです。

弱さは、悪いことじゃない。

助けを求めることは、恥ずかしいことじゃない。

この先は、誰かに怯えずに、安心して言葉を紡いでいけるような人生を歩いていきたい。

そんな願いを込めて、私はこの記録を残します。

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